淡い月明かりの下、京(みやこ)の小路(しょうじ)を往く二つの人影がありました。男は二十歳で名を仁王丸と言います。女は十六歳、名を「なでしこ」と申しました。
「中納言の姫は本当に家を出たいと望んでいるのか」
仁王丸の問いかけに、女は首を傾げます。
「姫君はまだ十三と幼い。分別もつかぬはず」
「何を言う。お前だって、初めて会った時は十三だったではないか」
なでしこは細い眉を顰(ひそ)めて仁王丸を見返します。口を開こうとすると、彼が人差し指を上げました。
「しっ。人がいる」
小路の辻に男が立っておりました。烏帽子(えぼし)を被り、太刀を佩(は)いています。分厚い胸板、眼光の鋭さからして、一角(ひとかど)の武人であると見受けられました。
彼こそは名高い頼光四天王の一、渡辺綱(わたなべのつな)です。仁王丸は素早く頭を巡らし、なでしこの手を取り歩き始めました。
彼女は手を引き抜こうとしましたが、きつく握られていて離れません。傍目には男に連れて行かれるのを女が嫌がっているように見えるのでした。
「来るのは誰ぞ」
野太い声が誰何(すいか)します。綱の右手は油断なく太刀の柄に置かれました。下手な嘘をついたら、首が飛ぶでしょう。
「因幡(いなば)の仁王丸と申します。雇われて京(みやこ)に住んでおります」
綱はすらりと刀を抜きました。
「そこの娘は」
「妻です。実家に逃げ帰ったのを連れ戻して来たのです」
なでしこは彼の顔を平手で打ち、怯んだすきに手を解こうとしましたが、逆に手を引っ張られ抱き寄せられてしまいました。
「暴れるな。人前でみっともない」
彼女はとっさの機転で芝居に合わせてみたものの、頬を赤くした彼が睨みつけるので、少し怖くなりました。
「近頃は人攫(ひとさら)いが多い。公家の女(むすめ)まで被害にあう。鬼の仕業だと聞くが、どう思う」
仁王丸が返事を躊躇(ちゅうちょ)すると、綱は刀を突きつけます。
「その娘の召しもの、元は絹の単衣(ひとえ)ではないのか。因幡の仁王丸よ。その太々(ふてぶて)しい面構えと太刀を恐れぬ様子。そなたは鬼か、さもなければ鬼使いの異人であろう」