「ところで、夜には海も黒くなるわね」
「理屈っぽいんだね、君は」
弟が死んだ。
夜の山道で。
先にカーブがあるとも知らないで、突っ走ってしまったのだ。
無免許運転のひとり相撲。
大バカ野郎だ。
モンテ・クリスト伯と海にきている。
弟との最後の会話。
「ねえ、姉ちゃん、あのおじさん、どうしてモンテ・クリスト伯なの?」
「私がモンテ・クリスト伯と呼ぶからよ」
潮騒。
彼が私に話しかける。
「お嬢さん、君を連れていく準備ができた。よかったら、僕と一緒にきませんか?」
西瓜の気球と南瓜の気球が、裏山の頂上に肩を並べて、今か今かと飛び立つ時を待っている。
「海辺の廃品工場からとってきた部品で組み立てた気球だけど、安全は保障する。なんたって、世界一の冒険家たる僕が組み立てた気球なんだから」
私はすこし考えてみることにした。
旅のさそいは嬉しかったけれど、そんなにすぐには決められない。
東瓜や北瓜をこの目で見ることができたら、どんなに素晴らしいだろうって思うけど、家で魂が抜けたお人形みたいになっているお父さんたちを放っていくわけにはいかない。
だけど私は、弟が死んだこの町で、これから先ずうっと生活していくことに自分が耐えられるわけないってこともわかってる。
公園でセミたちが合唱している。
「あんまり泣いちゃいけないよ」
とモンテ・クリスト伯。
言われてはじめて、私は自分が泣いていたことに気づく。
なんだか、おおきなずれを感じて、頭がぼおっとなる。
悲しみは潮の満ち引きみたいに、どっと押し寄せてはさんざん私を苦しめたあげく、またつぎの一撃を準備するためにしゅるしゅると帰ってゆく。
涙がそれにかみあわない。
本当に悲しい時に私は泣けないのだ。
私が泣くのはきまって、モンテ・クリスト伯のとなりにいる時。
頭の中は未来の楽しい世界旅行のことでいっぱいなのに、遅れてきた涙がいつも楽しい空想に水をさすのだ。
「あんまり泣いちゃだめだよ。涙をぜんぶ出し尽くしちゃった目玉はね、砂に変わってしまうんだ。顔にふたつも砂漠が出来てしまったら君、せっかくの美人がだいなしだよ」
ある日、モンテ・クリスト伯はそんなことを言ってぎこちなく笑った。
まるで少年みたいだ。
私の涙に触れようとしてやめた指先が、宙でかすかに震えていた。
私は彼に私を抱きしめる許可をあたえた。
私を愛する許可を。
弟はカブトムシを飼っていた。