小説

『500万の使い途』おおのあきこ(O.ヘンリー『千ドル』)

 郁夫は署名をすませ、振り込み先の口座を伝えると、法律事務所をあとにした。

 ずいぶん不思議な話もあったものだが、とにかくラッキーだ。
 500万円あれば、由香里の心を取り戻せるかもしれない――そう思うと、自分でも情けないほど足取りが軽くなってくる。
 由香里とは3か月前からのつき合いだ。高校でも大学でもさっぱりモテず、社会人になってもさえない毎日を送っていた郁夫にとって、はじめてできた彼女らしい彼女だった。しかも、すこぶるつきの美人ときている。
 出会ったのはある合コンの席。いまでも郁夫は、自分が由香里に選ばれたことが不思議でならなかった。ハンサムでもなく、背も低くて小太りの郁夫は、たいてい第一印象で却下されてしまう。それでも辛抱強く合コンに参加しつづけたのは、中には同じように容姿に自信がもてず、理想をうんと下げて参加してくる女性もいるのではないか、こちらもうんと理想を下げればうまくいくこともあるのではないか、と期待してのことだった。とにかく、彼女いない歴30年近くの人生から、抜けだしたくてたまらなかったのだ。
 それでもなかなか相手は見つからず、その夜、郁夫は一念発起して一流ブランドのスーツと時計で勝負に出てみた。親が残してくれた家に住み、趣味らしい趣味もなかったために、貯金だけはかなりの額があったのだ。
 しかし、これでなにかが変わるのだろうか……。
 ところがその夜、参加者の中でも飛び抜けて美人の由香里が声をかけてきた。
「あ~、そのスーツ! ひょっとして、アルマーニ!?」
 ぱっと見ただけでわかるものなのか!? 驚きだった。しかしそれ以上に、郁夫は自分が由香里の目にとまったことに驚いた。なにしろすごい美人なのだから。どぎまぎする郁夫をよそに、由香里はしきりに注意を引こうとするほかの男たちを無視し、郁夫の服の趣味を褒めちぎり、あからさまに関心を示してきた。
「あ~、時計も!! あたしたち、趣味が合うかも~」
「え~、一軒家でひとり暮らしなんですかぁ? すご~い。由香里、感動!」
 これほど楽しい合コンははじめてだった。いつもはテーブルの片隅に追いやられ、参加者の中でもレベル低めの女子に熱心に声をかけるものの、たいていは軽くあしらわれるか、迷惑がられておしまいだった。なのに、身なりを多少変えただけで、こんな美人と会話を弾ませることができるとは。
 しかも驚いたことに、郁夫が訊く前に由香里のほうからラインのIDを教えてくれた。
「郁夫さんのも教えてねぇ~」
 そう言ってにっこりした由香里を見て、郁夫は心の中でガッツポーズを決めた。

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