小説

『それからそれから』広瀬厚氏(夏目漱石『それから』)

 月日が得の熱したハゲ頭を冷やした。その結果、親子断絶とはいき過ぎだったので謝る許せ、と得が代助に頭を下げるに及んだ。それに対し、べつに気にすることはない、と代助は父親を許した。また毎月、金をもらえるようになるのかしら、と期待した。が、それはさすがになかった。ならば三千代をくれ、とも思ったが無論それもなかった。ちいと残念だった。けど、まあよしとした。
 代助は物欲にまかせ躊躇なくローンを組んでいろいろな物を購入した。幼い頃より身についた贅沢は変わることなかった。欲しい物は手に入れないと気が済まないたちだった。当然と借金はどんどん膨れていったが、何とかなるだろうと楽観していた。

 昭和から平成となり、バブルがはじけ、これまでずさんな経営をおこなってきた金満商事は、つけが回って倒産した。職を失い借金で首の回らぬ代助は、しかたなく得に泣きついた。しかしその時すでに遅し、得の事業も大きな不渡りをだし危機に陥っていた。得は、
「すまないが助けてやりたくとも今となってはもう助けてやれない、実家も担保に取られるだろう」
 と、代助に無念千万な顔を差し向けた。これまで脂ギッシュにテカっていた父親のハゲ頭が、すっかり不毛な荒れ地の如く、寂寞として代助の目に映った
「お父さん、僕はちょっと職業を探してくる」と言って、代助は得の前から去った。
 すでに別な企業の手に渡ることが決まっている父親が建てたビルを見上げ代助は、
〈行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし〉と方丈記の最初の句を、口の中に小さく呟き、世の無常を痛感した。それから、
「あぁ動く、世の中が動く、何もかもが動いていく」と、人に聞こえるよう大きな声で言った。
 彼は当てもなく街の雑踏を歩き回った。焦げつく頭をして彼方此方と歩き回った。渡ろうとした交差点の信号が赤に変わった。赤く光る信号が真っ赤な炎を吹き、膨れ上がって、自身に襲いかかるよう彼は感じた。そして膨れ上がった炎の輪が、くるりくるりと回転し、巨大な火の車となって、世の中すべてを焼き尽くせば良いのに、と思った。
 歩道を歩く彼の横を後ろから、車道を走ってきた真っ赤なフェラーリテスタロッサが追い越したと思ったら、前で止まった。彼がそれに追いつくと、真っ黒なフィルムのはられたフェラーリのウィンドウガラスがウィーンと下がった。

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