小説

『それからそれから』広瀬厚氏(夏目漱石『それから』)

「はあ、女ですか。そうですね、いると言えばいるような・・・それがどうしたんですか?」
「ああ、ちょっとな・・・・」と、また誠吾は黙った。そして、
「はっきり言って俺は、おまえがどんな女とつき合っていようがあまり関心がない。だがな、今回ちょっと困ったことになったんだよ。おまえ平岡三千代さんと交際してるだろう」そう言った。
「えっ! 三千代さんですか? はあ、またどうしてそれが・・・・・」
 誠吾は思い切って事のすべてを代助に話した。探偵の撮った証拠写真も見せた。それを知り、代助は非常に驚き困惑した。以前から代助も父親が多くの愛人をかかえていることは知っていた。しかしまさか三千代が、そのなかのひとりで、それも父親から一番溺愛されていようとは、まったく夢にも思わなかった。
「なあ代助、三千代さんときっぱり別れてくれ。そうすれば俺が事実を隠して、探偵にも嘘の報告書を書かせ、おやじに伝えるつもりだ。そうした方が絶対おまえのためだ。それにだいたい父親の愛人だと知って、もうつき合ってなんかいけないだろ」
 代助は頭が混乱して、どう応えたらいいのか言葉がさっぱり浮かばなかった。
「兄さん、すいませんが今日のところは帰ってもらえませんか。あまりに驚いて、まったく考えがまとまりません。落ちついて答えを出して、僕のほうから兄さんに連絡を入れます」
 代助がそう言うと、誠吾はゆっくりソファーから腰を上げた。玄関を出る直前、最後に兄は弟に言った。
「おやじは女のこととなると人が変わったように冷静を失う。おまえが三千代さんの浮気相手だったなんて知ったらどんなことになるか分からん。くれぐれもおかしな考えをおこすんじゃないぞ。くれぐれもな」

 兄が帰ってすぐ代助は三千代に電話をかけた。最初彼女の部屋へかけたが出ないので、つぎに自動車電話のほうへかけてみると、すぐに出た。外食でフレンチをとった帰り道だと言う。代助は、話があるので今から自分の部屋へ寄れないか、と彼女に尋ねた。三千代は、わかったわ、と返事した。今から三十分ほどで着くと言う。
 それから三十分もかからず、二十分あまりたった頃三千代は代助の部屋のインターホンを鳴らした。
 いつもと違い深刻な表情をして玄関に出た代助を見て、三千代は彼が今から話すだろう事柄をなんとなしに察知した。
 リビングのテーブルにはマッカランとグラスがふたつ、まだ片づけられずそのままにあった。それを見て三千代が言った。
「あら、誰かきてたの?」
「うん、兄が・・・」
「わたしがあげた高級ウヰスキーのお味はどうだったかな?」
「うん・・・・」

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