桃田はお茶の接待を受けることなく、熊部署へと移動した。ここの売上は他部署と比較して落ちこんでいると聞く。今度は下手に声をかけられぬよう、桃田はそっと中の様子を窺った。
大熊をはじめ、似たような背格好の社員たちが黙々と掃除をしていた。デスク上の電話もFAXも沈黙を保ち、ここは寺か神社かと一瞬勘違いしそうになる。
今度こそ当たりだ、と桃田は目を見開いた。仕事がなく、ひたすら掃除をしている部署なんて、会社にとっては害悪でしかない。この部署を根こそぎ追いはらってしまえば解決だ。桃田はさっさと退治してしまおうと身構えるも、社員たちの目が異様な熱を帯びていることに気がついた。
ただ、漫然と掃除をしている者たちの顔つきではなかった。さまざまな感情が混在している。己の不人気ぶりを悔やむ気持ち、掃除以外何もできぬ罪悪感と歯がゆさ、しかし掃除ができるのならばどこまでも徹底してきれいにしてやるという気概、会社への忠誠心。何よりまだあきらめてなどいない、という情熱がほとばしっていた。
この部署はただサボっているわけではない。今自分ができる目の前のことに心血を注ぐ。仕事ができる者でも、つい忘れがちな初心を胸に秘めているのが伝わってきた。不意に大熊のつぶやきが聞こえた。恐らくただの独り言なのだろうが、うっかり漏れた言葉こそが嘘偽りない本音なのだろう。
「鬼瓦社長とともに頑張る……踏ん張る……」
そしてほかの社員たちは大熊とともに頑張って踏ん張る所存なのだ。熊部署のホワイトボードを見ると、社内すべての場所を清掃する予定が毎日組まれている。他部署については皆が帰ったあとに掃除をしているのだろう。桃田はその熱量に敬意を覚えた。これまで自分が抱いたことのない感情だった。
それぞれがそれぞれに仕事と真摯に向きあっている。桃田はふらふらとその場を離れた。ブラックサイドカンパニー社内はどこもかしこも清潔さが保たれていることに、遅まきながら気づく。桃田が何の気なしに履いたスリッパも光沢を放っているし、あちこちに観葉植物が置かれている。主張するわけでなく、目が合った人にはそっと微笑みかけてくれるような控えめな気品が漂っていた。すべて大熊をはじめとする熊部署によるものだろう。
最後に向かった場所は、鬼部署だった。桃田は己を奮いたたせ、気を引きしめた。頂に座る者こそが悪というのはよくある展開だ。そもそも各社員があそこまで頑張っているのに業績悪化というのは、上の失態としか思えない。優秀な労働力にかまけて、あぐらをかいているに違いない。桃田は憤然として、且つ己の立場を都合よく棚に上げて鬼部署の扉を開いた。鬼瓦を成敗すれば、この任務はまっとうされる!
「鬼瓦!」