小説

『入水失敗の醜女』玉響かをり(『宇治拾遺物語』「空入水したる僧の事」)

 さらに大蛇は、王国に棲まう怪物たちにリュクスの美貌について語りつくし、彼女には絶対に手出ししてはならないという取り決めを満場一致でつくらせたのでした。人間を獲物にするはずの怪物たちのあいだで、そのような取り決めが実現したのははじめてでした。
 その顛末は風に乗ってまたたくまに天界まで伝わり、玉座に鎮座まします神をも驚かせました。神は、かつて自身が創り出したリュクスという女にいまいちど目を向けました。成長したリュクスのすがたは見れば見るほど美しく感じられるような、いっそ神々しいほどの域に達していたので、神はおおいに満足し、みずからの最高傑作にとくべつな祝福をさずけようと決めました。リュクスは、気づかないうちに祝福の息吹を吹きつけられ、現世において欠けることのない幸せを確約されたのでした。
一年後、リュクスはその美貌を見初められ、王国の皇太子の正妃としてぜひにと迎えられました。彼女が生まれたときとおなじく領主夫妻は大喜びしました。領主夫妻はとうにシェルスのことなど頭から抜け落ちていたので、生贄の謝礼とも言えるあの大蛇の平石を他国に売って得たお金で、リュクスのために充分すぎるほどの嫁入り道具と支度金を用意し、また王国史上もっとも上等な花嫁衣裳をあつらえさせたのでした。
 奔放だったリュクスも、年齢をかさねるごとに角が取れてゆきました。国王となった夫とともにかわいい子どもたちを育てる彼女に対し、キーン地方の人びとは嬉しいような悲しいような気もちで、とうとうリュクスさまは凡人には手が届かないくらいに非の打ちどころのない女性になったと評しました。一方、王侯貴族の男性のうちには、宝玉のごときリュクスに憧れ、どうにか振り向いてほしいものだと熱望する者たちが数えきれないほどいました。リュクス自身、角が取れたとはいっても生まれつきの血が騒いだのか、夫にかくれて一夜かぎりの激しい恋に興じることがしばしばありました。
 このように、毎日の生活になんの心配もなかったことにくわえ、夫に理解と資産がある分、値の張る美容法や化粧法にどんどん取り組めたので、リュクスの容姿は晩年にいたっても老いを感じさせませんでした。まさに、妻としても女としても満ち足りた生涯を送ったのでした。
 もっとも、リュクスも結婚まえにはひとつの悩みをかかえていました。すなわち、この上なく醜く、しかも大蛇の生贄になるのを嫌がって入水に失敗し、人びとの一押しがあってかろうじて義務をまっとうできたと言えるような恥知らずの妹が過去に存在したことです。
 しかし、あなた自身の価値がくもるわけではない、もし妹がどうのこうのと言い出してあなたを苦しめようとする悪人がいたら放っておかないと、多くの人びとから慰められたので、リュクスは純白の花嫁衣裳に袖をとおして結婚式をむかえた日には、もはやシェルスのおもかげさえ忘れ去っていたのでした。
 世間のならわしにしたがって領主夫妻が渋々建てたシェルスのちいさな墓石は、そののちしばらくのあいだ、雨風にさらされて寂しくたたずんでいました。王妃の妹の墓石となれば、毎日のようにだれかが手入れしにきてもおかしくないはずでしたが、当の王妃が妹を嫌っていることが王国中に知れ渡っていたので、あえて放置するのが国民として正しい態度だと見なされていたのでした。しかし、やがて墓石は嵐に押し倒され、墓場のすみでいよいよがらくた同然になってしまいました。

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