小説

『独白』夢野寧子(『眠れる森の美女』)

ツギクルバナー

 当初はクライン・レビン症候群、通称“眠れる森の美女症候群”に似た睡眠障害と思われたこの病気は、今では“眠れる森の少女症候群”と呼ばれるのが一般的だった。何故“少女”なのかといえば、通称に反して発症者の多くが男性であり、また二十代の患者の報告例もあるクライン・レビン症候群と違って、あくまで十代前半の少女達だけが発症する病気だと考えられているからだ。
また、“眠れる森の少女症候群”とクライン・レビン症候群との決定的な違いは、一度眠りに落ちてしまうと、永遠に目覚めないと思われていることだった。
 この病気の症例が世間に初めて公表されて以来、もう六十年以上経つけれど、未だに眠りから目覚めた者はいないし、治療方法も見つかってはいない。
 姫子はわたしの幼馴染で、一番の親友だった。だから彼女が不治の病にかかったと知った時は打ちのめされたし、何とかその重い瞼を開かせようと、周りの大人達が止めるのも無視してその白い頬を抓り、形の奇麗な耳に唇を寄せて大声で叫んだ。けれど、わたしがどんなにわめいても、泣き叫んでも姫子が深い眠りから覚めることはなかった。
 “眠れる森の少女症候群”の一般的な症状通り、姫子はある朝突然目覚めなくなった。その日から一週間が過ぎ、一か月が経ち、一年、数年の時が流れても、未だに眠り続けている。
 回復した前例はないといっても、姫子の両親は一人娘のために、あらゆる努力を惜しまなかった。最先端の治療法を試すために、海外にも渡ったし、その費用を捻出するためにマスコミの取材も積極的に受け入れた。
 姫子は、すれ違った誰もが振り返るような美しい少女だった。透き通るような肌に、日本人としては色素の薄い、太陽の下で淡く輝く栗色の髪。目は零れ落ちそうなほど大きく、その目を縁取るまつ毛はマスカラをつけているわけでもないのに、うっとり見惚れてしまうような長さだった。
姫子は日本で確認された、ちょうど二百人目の“眠れる森の少女症候群”の患者だった。二百人全員を知っているわけではないけれど、少なくともテレビやネットで紹介されていた少女達に限っていえば、皆整った容姿をしていた。そんな美しい少女達の中でも、姫子の美貌は際立っていた。いつだか、ある国際的な映画監督が「彼女の眠りは、神の作り出した芸術だ」と発言して、非難が殺到する事態があった。当然わたしは憤ったし、無神経な言葉に涙したけれど、スリーピングガール達を貶めようとする人間は、何も彼一人ではなかった。
 姫子をはじめとした、眠り続ける美しい少女達にインスパイアされた芸術家がどれだけいただろう。姫子をモデルとした小説も書かれたし、映画も作られた。そのうち“スリーピングガール愛好家”なる集団まで現れて、ネット上に散らばった少女達の画像や動画をホームページで紹介し、彼女達が安らかに眠れるようにと、怪しげなデモ集会を開くようになった。

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