小説

『独白』夢野寧子(『眠れる森の美女』)

 世間の無責任な好奇心にさらされ、疲れ切った姫子の両親は、彼女が十六歳の時についに政府との契約書にサインした。契約は大きな決断だが、この選択は決して珍しいことではなかった。契約さえすれば、期限が来るまでの間、医療費は免除される。テレビの出演料では賄いきれなかった最先端医療の代価は、確実に姫子の家を苦しめていた。だから、彼らを批判しようとは思わない。
 今日は姫子の二十歳の誕生日だ。いつもはひっそりとした病室も、誕生日の時だけは人で溢れかえる。姫子の両親。彼女が眠りについた後に生まれた弟。取材に訪れたテレビ局。それから役人と医者。病院の外が何やら騒がしいのは、姫子のファン達が集まっているからだろう。わたしはいつも耳を澄ませている。だから、だいたいのことを知っている。
 主役が食べられもしないのに用意された生クリームと苺のケーキ。アルコール解禁を祝って持参されたシャンパン。姫子を華やかに、一層美しくするための一流ブランドのコスメに、ドレス。二十歳になった姫子は、少女時代とはまた違った美しさを備えているのだろう。子供らしい丸い頬はすっきりとして、代わりに二つの胸が柔らかく膨らんでいるはずだ。そう、思いたい。栄養剤で生かされた体がスリーピングガールを醜く変えてしまったなどとは思いたくない。
「今日、僕達の姫子さんは本当の意味で、永遠の眠りにつかれます。けれど、これは決して悲しいことではありません。美しい少女が老いることなく、美しいままに旅立つのです。これこそ、まさに尊厳ある死といえるでしょう」
 病院の外から聞こえてくる、愛好家連中の吐き気のするような演説を何度聞いたことだろう。
 スリーピングガールが目覚めた事例はない。それは、目覚めるまで誰も待とうとしないからだ。契約書にサインすれば、入院費用は全て免除される。代わりに、政府の推奨する“尊厳ある死”を受け入れなければならない。尊厳死の対象となる病気は、ここ数年で二倍に増えた。わたしは多くの情報を得られる立場にはないけれど、医師や看護師達の話を踏まえると、六十歳以上の認知症患者にまで対象が広がったことが大きな転換点となったらしい。
 この国の医療制度はとっくに崩壊している。子供を産むことも、労働者になることもできない人間は、“尊厳ある死”を強制的に与えられる。尊厳死を免れ、生き恥を晒しながら生きることが許されるのは、高額な医療費を支払うことのできる富裕層だけだ。
「尊厳ある死を」と、病室内の誰かが言った。グラスとグラスが触れ合う音。姫子の死は祝福されるべき死なのだ。
 彼らは知っている。スリーピングガールに認知能力があることを。脳科学が発展した現代において、少女達がお伽話の姫君のように眠っているわけではないことを、医者達が気づかないはずがなかった。その上で社会は見ないふりを続けている。
わたし達はただ、思っていることを伝える術がないだけだった。話しかけてくれたなら、その言葉に喜ぶことも傷つくこともできる。手を撫ぜてくれたなら、ぬくもりを分かち合うこともできる。瞼を持ち上げてくれさえすれば、どんなものでも瞳に映すことがかなうのに。

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