小説

『囚われのセリヌンティウス』石川哲也(『走れメロス』)

「……明日になれば分かる。残り少ない命だ、好きに使うが良い」
 王は去り、私は石像の仕上げにかかった。

 翌朝、私の最高傑作が完成した。今頃メロスはこの石像と同じように駆けているに違いない。牢に差し込む朝日を浴びて、石のメロスが微笑んだかのように見えた。
 私は縄打たれ、刑場の中心に据えられた。石像も引き出され、隅に置かれた。
 昼を過ぎてもメロスは現れない。午後の強い日差しにさらされ、汗が滝のように流れる。水を満たした器が目の前に置かれたが、自由のない身で喉を潤すには獣のようにうずくまるしかない。そうすれば、刑場を囲む群衆には私が王に屈服したように見えるだろう。そんなことはご免こうむる。だが、メロスは来ない。
「遅いのう、メロスは。本当に戻って来るかのう」
 メロスは戻らないと確信した王は、言葉を尽くして私を嘲笑する。これ以上の娯楽はないと言わんばかりに顔を輝かせる。私も負けじと言い返す。
 メロスは来ます。おまえは裏切られたのじゃ。メロスは来ます。竹馬の友とはかくも脆いものか。メロスは来ます。メロスは、メロスは……。
 陽は傾き、王への反駁に疲れた私は、ぬるんだ水の感触ではっと目が覚めた。知らず知らずのうちに水の器に顔を埋めていたのだ。
 ディオニス王は処刑人に準備を命じる。磔台とはずいぶん高いものだと、私はぼんやり思った。
「ああ、セリヌンティウス様」
 駆け寄ろうとした愛弟子が押し倒される。何度も起き上がっては兵に打ち据えられ、足蹴にされる。
「フィロストラトス、もう止しなさい。怪我をしてしまうじゃないか」
「このくらい、なんだというのですか。セリヌンティウス様が殺されてしまうというのに」
「君は優しいな。でもまだ陽は落ちていない。私はメロスがすぐ近くまで来ていると思うのだ。なにか事情があって、少し遅れているのだろう」
「そんな! まだあの男のことを信じるというのですか……。そこまでおっしゃるのであれば私が探して参ります」
 気弱なはずの弟子が兵を押しのけ、勢いよく刑場を出て行った。
 処刑人の掛け声で儀式が始まる。磔台の半ばの高さまで吊り上げられると刑場を一望できた。詰めかけた群衆には見知った顔も多い。馴染のパン職人が悲しそうに私を見上げている。石工仲間たちが涙を流して抱き合っている。大工、肉屋、農夫、医者。多くの友人が集まってくれたようだ。近所のおかみさんたちに支えられて、かろうじて立っているのは老いた母。魂が抜け落ちたようなうつろな目。たった三日会わない間に、十も歳を取ったように見えた。

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