小説

『囚われのセリヌンティウス』石川哲也(『走れメロス』)

「もちろんじゃ。ワインが欲しければ最高のものを用意させよう。女が欲しければ連れてこさせよう。人生最期の贅沢じゃ、どんな望みも叶えてやろう」
「では、私の石工道具と、王と同じくらいの大きさの石を」
「なに? 三日後には死ぬというのに石を彫ると言うのか」
「その通りです。どんな望みも聞いて頂けるのですよね」
 ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえるようであった。勝手にしろと言い放ち、王は足音を響かせながら去っていった。残されたのは私と幾人かの物言わぬ見張り。非難と無関心の交ざった視線を感じながら、私はごろりと横になり目を閉じた。メロスが戻るまで三日しかない。休めるときに休んでおかねば。

 夢を見た。
 草原を駆けた、少年の頃の夢だ。
 友の足があまりにも速く、私は置き去りにされた。
 メロスの幼い妹が転んでしまい、私は泣き声を背負った。
 前に向き直ると、もう友の姿は見えなかった。
「……様、セリヌンティウス様」
 耳慣れた声で目覚めた。草原ではなく牢の中だった。愛用の工具と大人の背丈ほどの石が牢の隅にある。私が夢で駆けている間に運び込まれたようだ。
「ああ、セリヌンティウス様。お怪我はありませんか? 兵に乱暴なことをされませんでしたか?」
「フィロストラトス、この通りなんともない。君が工具を届けてくれたのだね。わざわざすまなかった」
「とんでもございません。むしろ、こんなことしかできない自分が情けない……。それより、メロス様はなんとひどい方なのでしょう。セリヌンティウス様を身代わりにして逃げるなんて」
 牢の外の泣き出しそうな声に、怒りの響きが加わる。
「心配いらない、わが友は必ず戻って来る。メロスが約束を違えることはない。そういう男なのだ」
疑いの表情を浮かべる愛弟子に、私は断言した。
 メロスは牧人である。シラクスの市から十里離れた村で、妹と二人仲良く暮らす、純朴な青年である。その友は三日後に殺される。己の信念に従って行動し、挙句、殺されてしまうのだ。もはや定まった運命。友の最期の望みは花嫁となる妹を祝福すること。その希望を叶えさせてやるために私はここにいる。私にできる最大限の友情の証。
「それならば良いのですが。ところでセリヌンティウス様はなぜ石を彫ろうとなさるのですか? その為に王のご不興を被ってしまったと聞きました」

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