小説

『吾が輩は神ではない』洗い熊Q(『吾輩は猫である』)

 さてさて、言葉が通じない相手にこの事をどう伝えようか?
 そこで吾が輩は自分の宝物の中から(遊び道具ではない、それぞれに想いのある宝物なのだ)、真ん丸の形状の鶏の人形を旦那の処まで持って行った。
 しかし、そのまま旦那の目の前に落としたのでは芸がない。
 耳障りでなく、だが確実に旦那の耳に。そして目の前でなく、視線の脇に。吾が輩はその鶏の人形をころころと転がして遊ぶ、遊ぶ。
 これで伝わるか、気付くかは旦那次第だが、これしか方法がない。
 もういい加減に気付いてくれと、息切れしそうになった吾が輩がちらりと旦那を見ると目が合った。
 その目は苛立ちの目ではなく、驚きと閃きの瞳。
 そうなると猛追のように仕事を始めた。どうやら気付いたようだ。
 やれやれ。これで一件落着だな。そう感じて、その日はそれで終わった。
 幾日か経って。
 旦那が吾が輩の御飯を用意してくれた。その旦那の様子はいつもと変わらない。だがそれは恐らく仕事が上手くいった証拠でもあった。
 良かった、良かった。そう思いながら、よそられた御飯の匂いを一嗅ぎ。そこで気付いた。
 いつもの猫缶から、単価が百円程高い階級上の猫缶に変えられていたのだ。
「贅沢に慣れされるのは良くない」と古風な考えを持つ旦那は、吾が輩の御飯には値段はそこそこ、種類は豊富、栄養面は中々の猫缶を選択していた。それが急に上流階級の缶に変更だ。
 これがこの間の御礼だと直ぐに察しがついたが、旦那がこの猫缶を選ぶこと自体も驚きであった。
 想像も付かず、あの時点での予知ではこの展開は見えなかった。予知を越える。それは、結果以上の副産物が現れることなのだ。

  
 さて、二つ目の事実の話だが。
 この様な力を持つようになったとして、若しくは持ちたいと思うとして、貴殿は想像し考えつくであろうか。
 “予知は外れるのか?”という疑問に。
 実はこの疑問。簡単に答えられる方法が有る。
 それは“予知が外れる事を予知する”という方法だ。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10