小説

『魔術師』おおのあきこ(『魔術師』)

「いや、あの、その……」
「まさかおまえ、他に女ができたとか?」
「えっ? いや、その、そんな、いや、その……」
「ええ~、それまずいよ、おまえ。めちゃくちゃまずいよ、そのパターン。下手すりゃ殺されるよ」
「え~、いや、まさかさすがにそこまではないでしょ。殺すなんて」
「おまえ、ニュース見ないの? いま日本中でストーキング殺人起きてるんだよ。粘着質はマジでコワいんだよ。想像をはるかに超えて恐ろしいものなんだよ」
「いや……」
「で、だれなの? その女って? まさか、社内のべつの女じゃないだろうな?」
「えっ、いや、そうじゃなくて、ええ~、まいっちゃうなぁ」
 しかしそう言ったあと、なにかふと思いついたのか、智春はいきなり目を輝かせた。
「そうだっ! 先輩、いいとこに来てくれました」
「なんだよ急に? さっきからずっといるだろ、ここに」
「いやいやいや、そうだそうだ、ちょうどよかった」
「わけのわかんないやつだな。まあいいさ、とにかくなにがどうなってるのか、ちょっと話してみろ」
「え、いまですか?」
 智春は時計をちらりと見た。
「いませっかくこうして話してるんだから。忘年会はまだまだ終わりそうにないしな」
「はあ……。じゃあ、かいつまんで。ええと、あれは1か月くらい前かなぁ。会社が終わるといつも千秋に追いまわされるんで、それをなんとか避けようといつも隠れるようにして帰宅してるんですが、それでもけっこうあとつけられて、つかまっちゃったりしてね、へへ」
「すでにストーキングがはじまってるな……」
「まあ、それはいいとして、あの日は、千秋をなんとかまいてやろうと、降りる駅じゃない駅で、電車のドアが閉まる寸前に降りたんです。そしたらそれがみごとに成功したんで、オレもつい上機嫌になって、その駅の周辺をぷらぷら散歩してみようって気になったんですよ」
「ホントにのんきなやつだな」
 智春は先ほどまでの煮え切らない態度とは打って変わって、生き生きとよどみなく語りはじめていた。
「で、そのときはじめて、その駅の近くにけっこう大きな公園があること知ったんです。知ってます? A駅近くの公園。知らないでしょ? 意外と知られてないですよね。なんていう公園かは忘れましたけど、その日はまだそんなに寒くもなかったし、紅葉にライトアップもされててきれいだったんで、散歩しながらどんどん奥まで入っていったんです。そしたら、掘っ立て小屋に毛の生えたような建物があったんです。近づいてみると、薄汚い看板に『魔術師の館』って書かれてました。マジかよ? って思いましたけどね、そのときは。

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