小説

『咳をしたなら』室市雅則(『咳をしても一人』尾崎放哉)

 三十二名が同時に乾杯をし、それぞれに缶を合わせた。
 すると外から地響きのようなものが聞こえて来た。
 マンションが揺れた。
 地響きが一定間隔で起き、次第に近付いて来ているのが分かった。 
 音が近付くごとに揺れも大きくなっている。
 一同が足を踏ん張って、注意を払っている。
 巨大な地響きがマンションのすぐ隣で起きると後は音も揺れも収まった。
 静けさが戻った。
 「何だ?」
 柳田がベランダの窓に向かいカーテンを開けた。
 目玉。
 巨大な目玉がこちらを覗いている。
 見覚えがあった。
 柳田と同じ目玉であった。
 二郎もやって来て二人でベランダに出る。
 巨大な柳田が立っていた。
 マンションと同じくらいの背丈がある。
 二郎が大声で巨大な柳田に声をかけた。
 「全員で咳をしたからか?」
 大きな柳田が大きな口を開いた。
 治療中の銀歯の位置も同じであった。
 「そーだよー」
 柳田も尋ねた。
 「三十二郎か?」
 「そーだよー。大将。おいらも乾杯させてくれよー」
 「分かったー!」
 柳田は室内に戻り、他の柳田たちの間をすり抜けて冷蔵庫に向かう。
 どこを向いても自分と同じ顔がいる。
 そして、誰もが微笑んでいる。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15