小説

『咳をしたなら』室市雅則(『咳をしても一人』尾崎放哉)

 柳田が尋ねると一同は頷いた。
 三郎が冷蔵庫から缶ビールを取り出し、バトンのように各々に渡される。
 「準備良いな。ジュースもあるの?」
 三十郎の手元にはオレンジジュースが渡り、感心する柳田。
 「さすがだろ?」
 得意そうな二郎が柳田は微笑ましかった。

 ビールが全員に行き渡った。
 全員がダイニングに入ることはできず、廊下にも溢れている。
 テーブルを柳田、二郎、三郎、四郎、三十郎が囲んでいる。
 「大将、一言頼むよ」
 三郎が柳田に言った。
 「ああ」
 柳田が挨拶をするために思わず咳払いをした。
 インターフォンが鳴り、二十九郎がドアを開けた。
 三十一郎がビールを片手に笑顔で現れた。
 笑う一同。
 柳田も笑いながら話し始める。
 「えー、この中には初めましての方もいますが、みんなありがとう。俺の子供というか兄弟というか不思議な感じです。みんなと別れるのは寂しいけど、頑張ってくれ。俺も頑張る」
 一同から拍手が起きた。
 「それじゃあ、みんなで『乾杯』しよう」
 一同の缶を握る手に少し力が入った。
 そして、柳田も含めて三十二名が『乾杯』と発声するために喉を整えるべく、寸分違わずまったく同じタイミングで一つ息をついた。
 咳をした。
 それぞれのボリュームは大したことがなかったが、三十二名同時の咳の音量はなかなかのものであった。
 一同が目を合わせて笑った。
 「乾杯」

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