小説

『七分の六番目の河童』園山真央(『河童』芥川龍之介)

 私はといえば、すっかり暇と退屈を持て余していた。茶道以外の友人たちも順番に結婚し、子どもを産み、遊びにくくなっていく。お稽古はさぼるくせに、「今度の休み、水族館に行きませんか?」という男性からの誘いは習い事があるからと言って断った。実家は相変わらず揉めている。
 金曜日の夜に遥から、「明日、久しぶりにお稽古行きます! 産後初めて! 楽しみ! 息子連れて行きます。泣いたりしてうるさかったらごめんなさい!」とLINEが来た。百子さんからも「うちも娘と一緒に行きます!」と連絡が。「子どもは夫に預けて、久しぶりに私も参加!」と律子さん。早苗さんはせっかく皆が集まるのに自分は行けないと悔しがり、彩さんは久しぶりに賑やかだ、と喜んだ。
「慶ちゃんは?」と美穂ちゃんからの連絡。
「ごめん、行けない」と打った私は、それきり面倒くさくなって携帯をベッドに放り投げた。予定なんて、もちろん無い。暇で退屈なのだから、翌日は気の向くまま昏々と眠った。目が覚めたときには既に昼を過ぎていた。欠伸をしながら、さぁて、することがないなぁと立ち上がる。食パンをむしゃむしゃと頬張って中途半端な食事をし、たいして興味もない本を読み、果たしてどれくらい時間が経ったか、明日もどうやって時間を潰そうかと思いながら携帯を見たら、LINEにやたらたくさんのメッセージが届いていた。
 開いてみると、写真ばかりだ。ふにゃりとした赤ん坊を抱き上げ、嬉しそうに笑っている先生の顔。美穂ちゃん、彩さん、遥、百子さん、律子さん。一人一枚ずつ、赤ん坊を抱いて嬉しそうに幸せそうに、優しい笑みを浮かべている。早苗さんの結婚式の日と同じだ。皆の笑顔がいつもより大きい。赤ん坊は二人いた。赤い服と青い服。遥の子が男の子で、百子さんが女の子だから、それぞれ色の通りかと思いきや、遥が抱いているのは赤い服の赤ん坊で、百子さんが抱いているのは青い服の子だ。首を傾げていると、欠席の早苗さんから、「かわいい! やっぱり遥ちゃんの子は遥ちゃんに、百ちゃんの子は百ちゃんに似てるね!」とメッセージが届いた。「私にはどっちがどっちだか判りません」と送ると、「赤い子が百子さん、青い子が遥ちゃんの子だよ」と美穂ちゃんから返信が来る。なぜ逆に抱いているのか。改めて写真を見直しても、どちらも同じような顔に見えて、やはりまったく分からなかった。
 君たちは何番目の河童だい? と悪戯に心の中で尋ねたとき、急に私は、自分がひどく空っぽで孤独であることに気づいた。それはおかしなことだった。だって、そうじゃないか? お稽古をさぼったのも、デートの誘いを断ったのも自分なのだから。それなのに自分が今、一人で何をする意志も気力もなくここにいることを嘆くなんて、どうかしている。だけど、気づいてしまったのだ。この写真の中に、七分の六番目の河童はいない。望み通り、何も変わらない平穏な毎日を手に入れたにも関わらず、それを守っているにも関わらず、私の心は虚ろで、幸せからは程遠かった。結婚したい訳ではない。子どもを産みたい訳でもない。それが私の幸せだとは今だって思っていない。何も変わっていないはずなのに、いつの間にか私は外側の人間になっていた。私が変わらないようにしている間に、周りはどんどん、人生の変化を受け入れ、変わることを受け入れていったのだ。だから私たちはずっと同じ場所にいたはずなのに、今、私と彼女たちのいるところは大きく離れている。突然大地に大きな裂け目ができて、一人だけ違う岸に取り残されているような気持ちになった。
「そんなの、死にたいって言ってるのと同じじゃない」という早苗さんの言葉が蘇り、ぞっとする。

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