小説

『sleeping movie』日吉仔郎(『眠れる森の美女』)

 大きな映画のポスターの貼ってあるビルの前まで来て、まるでたったいま思いついたように、お父さんは言った。明らかに映画館を目指して歩いてきていたと思う。「尚子はどれが見たい?」今度は本当に決まっていなさそうに、お父さんはポスターの貼ってあるあたりをぼんやりと指差す。
 上映中なのは妖怪のアニメ、怪獣、お化けを退治するやつ洋画、なんか殺人事件とかが起きるサスペンス、ジャングルや動物のCGがすごいやつ。
「やっぱり妖怪?」
 お父さんに言われ、わたしは首を横に振る。「あれ、妖怪じゃないのか。じゃあどれだ?」わたしはジャングルや動物のCGがすごいやつがよかった。
「あれ」
「ああ、そっちか。時間もちょうど良さそうだな」
 お父さんとわたしはチケットを買う列に並ぶ。お父さんは段々とわたしに慣れてきたようで、「おれもこれちょっと見たかったんだよ」とのんびり言った。
 映画館に来るのは久しぶりだった。離婚する前に、お母さんとお父さんとわたしで、三人で来たのが最期だと思う。お母さんはあんまり映画というか、作り話に興味がない。
 わたしは映画が好きで、本が好きで、それは作り話が好きということだ。わたしのいるところと違った世界を想像するのは楽しい。お父さんは財布を出して事前に料金を準備している。お父さんも、作り話が好きなのだろうか。
 順番が来て、お父さんは窓口で透明のガラス越しにお姉さんにチケットを注文する。
「『真新しき大怪獣』を二枚ください」
 って、違う! それじゃない!
 わたしはびっくりしてお父さんの袖を引く。お父さんはハッとして「ああそうか、えっと、おとな一枚と小学生一枚」と言い直した。いや違う、料金のことでもなくて。
 でもお姉さんは「全席指定席となっておりまして、いま空いているのがこちらと……」と空席のリストをお父さんに見せる。お父さんは「じゃあこことここで」と席を選んでしまう。会計が終わり、小さい切り取り線の刻まれた、映画の券を手渡される。
「はい、チケット。怪獣楽しみだなー!」
 お父さんが無邪気に共感を求めてきた。わたしは露骨にぶうたれてしまった。
「あれ、どうした? なんか具合悪いか?」
「だってこれ違うもん」

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