小説

『sleeping movie』日吉仔郎(『眠れる森の美女』)

「はい、こちらお先にホットコーヒー」
 喫茶店のおじさんからコーヒーが届くと、お父さんは砂糖壺をあけて、スプーンで砂糖をすくおうとする。わたしは本を読むふりをしながら、上目遣いにこっそりとお父さんの様子を窺った。
 湿気でかちかちになっている砂糖壺から、お父さんはほとんど砂糖をすくうことができない。それでも諦めずにスプーンを砂糖に対して直角に立てて固まった砂糖を削ろうとしたが、砂糖はやっぱりすくえない。
 そりゃそうだ。比較的柔らかい部分は、わたしがさっきカフェオレに入れちゃったし。
「あの、すみません」
 お父さんは喫茶店のおじさんを呼んだ。おじさんはサンドイッチとかオムライスを作っている最中なのか、少しいらいらした感じで出てくる。「いまね、わたしひとりだから。もうちょっと待ってて!」そう言って戻っていってしまった。
 勘違いされて、けっこうきつく言われたのに、それに堪えた様子もなく、お父さんは軽く肩をすくめては、コーヒーに視線を戻した。腕組みしてしばらく眺めてから、意を決したように手に取って一口飲む。眉がぴくっと動いて、また置く。二口目を飲もうとはしない。代わりに水を一気飲みした。
 メニューのときみたいに隣の席から砂糖とっちゃえばいいじゃん。ぜんぶの席の砂糖が固まってるってこともないだろうし。そう思ったけど、何も言わなかった。
「はいお待ちどうさま」
 ミックスサンドとオムライスが机のうえに並ぶ。ついでに水が注ぎ足される。お父さんはコーヒーを飲まずに水を飲みながら、ミックスサンドを平らげた。
 わたしのオムライスは、家でお母さんが作るのとあまり変わらない味だった。ふわふわでもとろとろでもない。目の前にお父さんがいることだけが家と違った。
 食べ終わるとお父さんは腕時計に目を落として「そろそろ行こうか」と言った。頷く代わりにわたしは本をショルダーバッグにしまって、少し苦いカフェオレの残りを飲み干して、ソファから立ち上がった。お父さんも伝票をもって立ち上がる。コーヒーはたっぷり残っていた。

 地下の喫茶店から数時間ぶりに地上にあがって外に出ると、日光を眩しく感じた。長袖なのが暑くなってきたのか、お父さんはゆっくりと腕捲りしながら、コンクリートのビルの隙間をぬって歩く。方向音痴のお母さんと違って足取りは確かで、行き先は決まっているようだ。わたしはお父さんの隣より、少し後ろをついていった。
「よし、じゃあ、映画でも見るか」

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