小説

『瓢箪から駒』広瀬厚氏(『地獄変』芥川龍之介)

「良い」と、35才独身売れない小説家佐川俊介は一人呟いた。なんだか胸がキュンキュンする。こんな気持ちになるのは初めてだ。爽やかな青春の恋愛とはちと違う気もするが、どこか古風で大変よろしい。こんな恋愛を本当は経験したかったのかも知れない。俊介はパソコンを前にしばらく、ぼんやり何もせず座っていた。
 さて、爽やかな青春恋愛小説である。どうもやっぱり書けない、気がする。俊介は開いたワープロソフトに一字も打てぬまま、うんうん一人唸った。
 彼はプロットを考えない。筋などなくても一向に構わないと思っている。出たら出たその目をいい加減に綴っていく。そちらの方が生きた文章になると思っている。彼は奇抜なアイディアといったものが好きでない。単純な中にひそむ複雑、平凡な中にひそむ奇抜、といったものを表現したいと思っている。目に見える奇抜なアイディアほど詰まらないものはない、と思っている。しかしその実本当は、筋もアイディアも浮かばない言い訳に、自分自身言い聞かせているだけである。
 最初の一句が思い浮かべば、あとはすらすら書けそうな気もするが、困った事にちっとも何にも頭に浮かばない。うんうん唸るばかりで、頭を捻っても捻っても、何も出てこない。振ればカラカラと虚しい音がしそうだ。駄目だ。俊介はうなだれた。
 仕方ない。彼は自分の流儀を今回は捨て、まず大まかなプロットを考える事にした。そうしてまた頭を捻る。そう言えば若葉さんは漫画を描くと言っていたな。と、ふと思う。そしてひらめく。漫画家を目指す女子高生と同級生の野球少年がくりなす、爽やかな青春ラブコメディーなんてどうだろう。在り来たりな気もするが、そこをなんとか奇抜なアイディアでもって、、、と、さすが出鱈目小説家である。自分の思い考えなど有るようで無い。そんなものは平気でコロコロかわる。で、俊介はまたまた頭を捻る。野球と言えば棒と玉。漫画と言えばハレンチな妄想。どうもすぐエロに走りたくなる。彼の頭の中でどんどんエロが加速する。一人ニヤける。デヘヘと笑う。己の胸に描いたプロットに己の棒を硬くする。タラリ、よだれが垂れる。ハッとここで、俊介は我に返った。どうもよろしくない。今日のところはやめておこう。俊介は開けていたパソコンのワープロソフトを終了させた。
 次の日俊介は、朝からずっとそわそわして落ち着かない。2時に駅前。2時に駅前。と何度も頭の中繰り返す。駅前と言ってもバーチャルスペースでの駅前である。仮想空間駅前にてアバター春介とアバター若葉の待ち合わせである。春介たる俊介は、実際得体の知れぬ若葉に、心を持っていかれたようだ。本人気づかぬが本当に恋をしたようだ。2時が待ち遠しくて仕方ない。

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