小説

『瓢箪から駒』広瀬厚氏(『地獄変』芥川龍之介)

 二人は駅から列車に乗り込み座席に並んで座った。列車に揺られ、膝と膝、肩と肩が、触れ合うたびに二人は頬を赤く染めた。が、お互い昨日ほどの緊張はなく、時折冗談さえもが二人の口を出た。楽しい時間であった。しばらくすると車窓に海が見えてきた。「海だね」春介が短く話す。「ええ」若葉が二文字返す。列車は海の見える丘のある街に到着した。
 列車を降りると潮の香りが二人の鼻先に届いた。目的の丘へと二人は駅の改札を出た。海辺の小さな街がそこにあった。駅から10分ほど街を歩くと丘のすそに出た。比較的なだらかな勾配の道を二人仲良く登った。軽く汗がにじむ。にじんだ汗を乾かすように、爽やかな風が二人の間を吹き抜ける。坂の途中野鳥の鳴き声が二人の耳を楽しませた。
 丘の上、大海原が眼下に広がる。海の向こう、大きな貨物船が小さくオモチャのように目に映る。海の上、蒼穹に真白な雲が浮かんでいる。青と白とのコントラストが目に冴える。二人は肩を並べしばらくその雄大な景色を眺めた。
 丘の上には広い原っぱがあった。二人は原っぱに寝そべり、とりとめのないお喋りに時間を費やした。
 夕暮れが近づいた。帰り、丘の上から下までのレンタルサイクルがあったので借りた。二人は自転車に乗って風のように丘を下った。
 驚くほどに良くできたバーチャルスペースである。二人のアバターはその作られた仮想空間の中で、その後何度もデートを重ねていった。しかしそれはあくまでお遊びである。はまればはまるほど逆に物足りなさが出てきた。そのうちお互い、バーチャルスペースの向こうがわでアバターを操る、本人の見えない影が気になるようになってきた。
 ここは春介と若葉が初めてのデートで入った小さな喫茶店である。久しぶりに二人はそこに入った。今ではすっかり親しくなって自然と会話も弾む。弾んでいた会話が一瞬途切れ沈黙する。テーブルには春介の前にコーヒー、若葉の前にココア、中央にサンドイッチが置かれている。春介はコーヒーを一口飲むと、このお遊びを終わらせる覚悟で思い切ったことを口にする。
「会えるものなら実際に会ってみたいんだけど、若葉を操ってるあなたに、、、」
「えっ、、、、、」
 この後俊介は、春介を操る自分は35才の独身男性であることを、相手に告げた。若葉を操る者は、若菜と言う28才の独身女性であると告白する。彼女も春介を操る俊介に会ってみたいと思っていたと言う。お互い住んでいる場所も幸い、さほど苦労せず会える距離にあるとわかった。結果どうなるかなんて分かったものじゃないが、二人は実際一度会ってみることにした。二日後の正午、とある駅前で、お互い目印を持って待ち合わせをすることにした。俊介は手に二冊の文庫本、若菜のほうは二冊の漫画本を持つことを、それぞれの目印とした。俊介と若菜、二人約束を交わし、春介と若葉、二人のアバターはバーチャルスペースからログアウトした。

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