小説

『ロータス・イーター』末永政和(『蟻とキリギリス』)

 海の向こうに浮かぶ島は一年中暖かく、餌となる蓮の実も絶えることがない。その地の者たちは甘い実で腹を満たし、この世の憂さを忘れて惰眠をむさぼりながら暮らすのだという。たとえ使命に燃える身であっても、ひとたびこの蓮の実を食べれば恍惚となり、島から出ることもかなわなくなる。
 あの日、雨宿りのさなかにキリギリスが語ったことだった。その種族が自分たちのような虫なのか、それとも鳥なのか分からない。しかし彼はその話に一切共感できず、そうした生き方を軽蔑するばかりだった。
「なるほど、あんたも今、蓮の実を食べるように暮らしているわけだ」
 彼がそう言うと、キリギリスは寂しそうに笑ってみせた。
「どうだろうな。案外お前たちも、知らず知らず蓮の実を食べているのかもしれないよ」
 あのときは気にもとめなかったキリギリスの言葉が、今更ながら彼を縛り付けていた。蓮の実が餌だとは限らない。毎日彼がおのれに課していた単調な労働もまた、甘い果実であったのかもしれない。事実彼は一日の終わりに恍惚と、思考を捨てて眠りの世界に逃げ込んでいた。この巣穴から逃れることなど思いもよらなかった。
 事ここに至って、彼は初めて自分の生き方に疑問を抱いたのである。何も考えず、仲間たちのために尽くすことこそ自分のさだめだと思っていた。しかし今思えば、それは考えることを放棄して、漫然と日々を送っていたに過ぎないのではないか。後ろ指をさされるような生き方でないのは確かだが、それは誇りに思えるほどの生き方であったか。甘い蓮の実を食べて安逸に日々を送る者たちをかつては非難したが、何も考えずしきたりに身を任せるのも、たとえ勤勉だったとしてもそれは安逸と何ら変わらないのではないか。それだったら、与えられた人生の短さを受け止めて、毎日を謳歌するキリギリスの生き方のほうがよほど尊いのではないだろうか。
 それでも彼は、餌を食べずにはいられなかった。脳がしびれるほどに甘い餌だった。やがて深い眠りが自分を襲うだろう。次に目を覚ましたとき、自分は何を思うだろうか。この迷いを、哀しみを、自分は覚えていられるだろうか。
 このような行いを、今まで何度も繰り返してきたような気がする。そうして彼は重い瞼を閉じた。眠ることも死ぬことも、そして生きることも、そう変わりはないように思われた。

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