階段が壊れてしまった。
それは通勤ラッシュの時間帯に起こった。電車から降りた人々が、地上へ伸びる階段を昇ろうとしても、階段が壊れてしまったので昇れない。
階段上にいる人々は脚を懸命に動かすものの、体はどうしてかその段で止まったまま。これはおかしいと下へ引き返そうとしても、それもできない。
昇れない、降りられない。階段前ではあっという間に長い行列ができてしまった。
機械で動くエスカレーターではあるまいし、まさか階段の内側で誰かが動かしているだなんて夢にも思っていないだろう。人々は何がどうなっているのかさっぱり分からないまま、段の上でただひたすらに脚を動かし、けれども前に進めずにもがいている。階段前の長い行列からは、「早く先に進めよ」と怒声が上がっている。
「階段が壊れるなんて、あっちゃいけないことなのに……」
新米階段職人のポストは離れた位置で、父のギアーが担当していた階段を愕然とした思いで見つめていた。
ポストの父・ギアーはベテランの階段職人だ。老齢だが、他の階段職人とは違う昔ながらの技術『歯車』にこだわり続け、更に独りで一つの階段を受け持って仕事をこなしていた。
人間はこれも夢にも思わないことだろうが、階段には必ず階段職人と呼ばれる精霊が住んでいて、階段を四六時中動かしている。彼らの体の大きさは、およそ栄養ドリンクのビン程度とずいぶん小さい。その体躯で何人もの人間が昇り降りする階段を支えているのだ。
「やっぱさ、時代遅れなんだよな、『歯車』なんてさ」
愕然としているポストの元に友人が歩み寄ってきた。憐れみの表情でポストの肩を叩く。もう片方の手からは雷のように鋭く光る柱を幾筋も放出させている。それは電気の柱、すなわち『電柱』と呼ばれる最新の技術だ。
「あれはさ、もう『歯車』がダメになってるんだよな。親父さん自身が疲れちまうとさ、『歯車』も疲弊してさ。ほら、『歯車』一つでもダメになると、全段がさ、一気にああしてガタガタってダメになってっちまうんだよな。親父さん、普段平静を装ってたって本当はもう心底疲れちまったんだよ」
「…………」
ポストは友人の言葉に、吐息一つの反論もできなかった。父のギアーは普段は疲れていることなどおくびにも出さなかった。階段職人の仕事がとにかく好きで好きで、他の誰よりも階段職人であることを誇りに思っていて、生き甲斐としてきた。