小説

『カンダタの憂鬱』poetaq(『蜘蛛の糸』芥川龍之介)

 ふと右手の池に目をやりました。紅白の蓮が満開です。甘い香りと相まって、なんとも妖艶な眺めでした。カンダタは切なげに嘆息します。ああ、女が欲しい……。
「イカン、イカン」
 慌てて首を振りました。お釈迦様、それとも慈母(実母?)観音でも思い出したのでしょうか。それでもカンダタは色魔に魅かれでもするようにすぅっと池へ歩み寄ります。極楽二日目にして、早くも人恋しいKANちゃんのようです。
 池を覗くと、髭面の阿羅漢が映っていました。頬はこけ目は窪んで、すっかり老け顔です。なんだか浦島太郎のようでした。極楽では老化が進むのでしょうか。カンダタはまた溜息をつきます。
「うぇっ!」
 突然カンダタが呻きました。鏡像を透かして、無数のシラミが池の底に蠢いているではありませんか。
 罪人でした。彼らは赤黒い血の池に溺れ、針山に刺され、三途の川辺で着物ごと皮膚を剥がれて悶絶中です。
「ふん。ザマみやがれ!」
 他人の不幸こそ憂さ晴らしにはモッテコイです。カンダタは縁に胡座をかくと、わくわくしながら地獄を覗き込みました。
「ん?」
 カンダタが目を細めました。視界にスっとよぎるものがあったのです。瞼をこすって蓮に目をやると、手近の葉っぱに蜘蛛が一匹、銀の糸を金色の蕊にかけているところでした。カンダタは蜘蛛に手を伸ばします。格好のオモチャに出会えた気分でした。
 果たして、蜘蛛は捕まりました。カンダタはその尻から垂れている糸を摘み出しました。そうして糸をゆっくりと水面に垂らします。昨日、お釈迦様がなさったように。
 さすが極楽です。糸は水面に浸かるや、ぐんぐん底へ伸びていきました。カンダタの顔に意地悪な微笑が浮かびます。「仏がいたら、早速捕まらせて同じ目に遭わせてやる!」――悪党はどこまで行っても悪党のようです。
「あっ!」
 カンダタが声を上げました。血の池にあってフラメンコだのY字開脚だの、独りシンクロ選手のようにポーズを取りながら浮上する罪人がいたのです。
 お釈迦様でした。カンダタは、血に濡れながら溌剌たる演技で他の罪人はもちろん獄卒まで感心させておられる御仏の頭上に糸を向けました。すると、さすがお釈迦様、九時に伸ばされた両手の一方で糸を摑まれると、なんと片手で手繰り寄せるように登られるではありませんか。

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