小説

『粗忽なふたり』室市雅則(古典落語『粗忽長屋』)

 「どうしたんだよ?」
 俺は弟の顔を指した。
 弟は顔を突き出し、慌てて左右を見渡した。
 「入ってくれ」
 「何だよ」
 「早く」
 弟は俺を玄関の中に引き込むとすぐに鍵を閉めた。
 甘い匂いが俺の鼻に入り込んで、俺は咳き込んだ。
 「おい、どうしたんだよ?」
 弟は一度、大きく息を吐いた。
 「昨日の夜さ、博打で大負けしちまってさ。ショバ仕切ってるヤクザに・・・」
 「だから電話して来たのか?」
 「金がねえって言ったら、でっけえマンボウみたいな野郎に殴られてさ」
 「力はあるけど頭はないって感じの奴だな」
 「そうなんだよ。金持って来なきゃ、ぶっ殺すぞって言われて困ってんだよ。あれはマジだよ」
 一瞬、耳を疑った。
 「今、何て言った?何て言われたんだ?」
 「金持って来なきゃ、ぶっ殺すぞって言われたんだよ」
 俺の心臓が高鳴る。
 「ぶっ殺すって言われたのか?」
 「ああ、言われた」
 俺は間違っていない。
 「本当か?聞き違いしてねえか?コロンブスって言われたんじゃねえよな?」
 「コロンブス、コロンブス、ブロコンス、ブコロンス、ぶっ殺す。兄ちゃん、ちょっと無理あるよ」
 念のためにもう一度、確かめる。
 「じゃあ、本当にぶっ殺すって言われたんだな?」
 「そうだよ。しっかりとぶっ殺すって言われたよ」
 良かった。
 「お前、殺されたんだよ」
 安心した。
 「え、俺、殺されたの?」
 弟は驚いていた。
 当たり前だ。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18