小説

『オフィスレィディ』坂本悠花里(『女生徒』)

 ふりしぼって私はそう言う。
 ねえ、お母さん、結婚する?なんて聞かないで。私、ずっとここにいるから。ずっとここにいたいの。この居心地の良い家で、二人で死んでしまえたらどんなに良いか、最近考えるのよ。そりゃあ私達、私が思春期の頃には食器をぶつけ合って喧嘩もしたよね。でも、だからほらこんなに、今は仲良しでしょ。ねえ、私、お母さんの老後の面倒だってみるんだから。
 「そう。何か嫌なことがあったのね。」
 お母さんはそう言って、ただただ涙を流す私を見ている。
 昔もこんなことがあった。
 大学を卒業して、OLになって、一人暮らしをして、でもたちまち仕事も生活もうまく行かなくなって、ぼろぼろになって家に戻ってきた時。
 その時は、お母さん、そっと私の頭に手をのせてなでてくれた。
 でも今日はしてくれなかった。
 本当はもう涙なんか出ていなかったのだけど、どこで泣き止んだらいいのか、なんだか決まりが悪くて、私は鼻をすすったり目をこすったりした。
 あの時は、頭を撫でてくれれば、私は素直に泣き止めたのに。
 お母さんの顔を見ていると、お母さんも困っているように見えた。
 私たちは、もう撫でられることも、撫でることもできないのだ、と感じた。そうして、私たちは少しずつ老いてきているのだ、ということに気がついた。
 それで、私はもう一度泣きたくなってしまった。

 「おやすみなさい。あったかくして眠ってね。」
 お母さんは私にそう言う。
 私は泣きじゃくって腫れぼったい顔で、ちょっと恥ずかしい気持ちで、こくりとうなづく。
 それにしたって私はもう少女という年ではないのだし、いいオトナの女にならなくてはいけないのに。
 換気していたおかげか、部屋はすっかり気持ちのいい空気で満たされていて、私は大きく深呼吸する。
 布団に身体を投じると、布団は冷たくてお洗濯のにおいがして、とても気持ちがいい。
 私は私になじむ前の布団が好きだ。私と解け合わないうちの、冷たさ。でもこんなに私とは違うけれど、やわらかいから私を傷つけたりはしない。オトコのひとも布団のようになってくれればいいのに。

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