小説

『オフィスレィディ』坂本悠花里(『女生徒』)

 私は、家につくと同時にその足でそのままお風呂へとむかう。それはもう小学校からの私のお決まりで、外から帰ってくるとまずまっさきに必ずお湯に入るのである。
 「おかえり。もうお湯の支度できてるよ。」
 母は待ってましたといわんばかりに声をかける。このやり取りはもう、15年は繰り返してきた。
 私は、さっき自分が「次の駅」で降りてしまおうと考えたことを思い出して少し胸が痛んだ。そうしたら母はずっと私の帰りを待つことになるだろうし、それまでお風呂にも入るだってできないからだ。 
 私は腕時計、ベージューのカーディガン、白いシャツ、ネイビーのスカート、ストッキング、ブラジャー、ショーツ、と、順番に脱ぎ捨てていき、小さな金色のピアスだけを耳に残して、お風呂にはいる。
 すぐに湯船に入りたい気持ちをおさえて、シャワーで髪の毛や身体についた汚れをすべて洗い流す。これは私の中の絶対の決まりで、これを破って湯船に入ることは決して許されない。
 まずは片足。そーっと白い乳白色のバスタブの中に足の指を入れて温度が熱すぎないかを確かめる。(お母さんは熱いお湯が大好きだから)それからゆっくりゆっくりと身体を沈める。
 白くて、ガリガリの身体。柔らかさという女性らしさのない身体。もう何度も繰り返し見てきた身体。それでも、何度見ても、いつもどこかしら新しい傷や痣を見つける。
 今日は、おっぱいの上の方に小さな傷ができていた。
 昨日の夜、寝ながらひっかいちゃったかな。
 身体をお湯の中に沈めようとすればするほど、身体はぷかぁーっと、上へ上へと上がってくる。どんなに水が心地良くても人は水の中に住めないということ。
 本当はもっとずっと長いことお湯に浸っていられれば良いのだけれど、私はくつろごうとすればするほどかえって身体がくつろがず、いつも10分もたたないでお風呂から出てしまう。いつかはアロマキャンドルを持ち込んだりドキドキしてノンストップで読めちゃうような推理小説を持ち込んだりもしたのだけれど、それでもソワソワして1時間ともたなかった。
 お風呂から上がると、お母さんがもう食卓に食事を出してくれている。
 私は顎くらいまでの髪の毛をタオルでわしゃわしゃとふく。
 「あら、今日もからすの行水ね。」
 これもまた小学生からのお決まりの言葉だ。
 机の上には、パエリアと、人参のポタージュ、蒸したじゃがいもやニンジン、レンコンが並んでいる。野菜には、ギリシャ産のオリーブオイルと塩をつけて食べる。

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