しんしんと静けさ滲みこむ夜の中に、二人の歌声が小さく響き、すうと吸い込まれていく。ミヤコがうたうのに合わせて声を出すシュウタは、鼻唄にもならないほどの曖昧な調子で、ふうー、とか、ほー、とかそんなくらいで、だからミヤコとシュウタはまるでチグハグであったが、それでも二人の声はまったく双子のように夜空に響く。しばらくうたって、やがてミヤコがうたうのをやめた。合わせるようにシュウタもうたうのをやめる。
「お父さん、来ないね。歌、聞こえなかったかな?」
シュウタの問いかけに、ミヤコは答えない。ミヤコはしばらく黙って、それから一瞬だけぶわっと泣き出しそうに顔を歪めたが、すぐに元の表情に戻した。それを見たシュウタも、つられて少しだけ泣き出しそうに、けれどミヤコの顔がすぐに戻ったのを見ると、呆気にとられたみたく不思議そうな顔でミヤコを見つめた。
「私が歌、うまくないから、お父さん来ないのかも。ごめんね、シュウタ。残念か? お父さんに、会えないの」
「ぼく分からない、だってぼくはお父さんのこと、一度も見たことないもの」
「そうか、シュウタはお父さん、会ったことなかったね」
ミヤコはそう云ってから、シュウタの頭をくしゃくしゃ撫でて、小さく笑った。シュウタもなんだか嬉しく、にっこり笑った。それはミヤコが笑ったのがすごく嬉しかったのかもしれないし、頭を撫でられたのが気持ちよかったのかもしれない。
「シュウタ、私たち、しっかりやろうね」
小さく呟いたミヤコの声はシュウタの耳にはっきりとは聞こえておらず、ねえさんなあに? と聞き返してくるのにミヤコは、ううん、なんでもない、と優しかった。
シュウタは、父親に会ったことがない。けれどもミヤコは父親に会ったことがある。シュウタの会ったことのない父に、ミヤコは会ったことがある。シュウタの知らないことを、ミヤコは知っている。父親のことだって、シュウタは何も知らないけれど、ミヤコは知っている。シュウタにできないことを、ミヤコはたくさんできる。見たこともない父親のことを憶い出すことは、シュウタにはできないけれど、ミヤコにはできる。やっぱりミヤコは少しずるい。でも、それでもいいか、ともシュウタは思う。ミヤコがシュウタの知らないことを知っていて、シュウタのできないことをミヤコができる。なんだかそれでいいような気がしてくる。ミヤコといっしょにいれば、なんでもできる。電車にだって乗れる。
「シュウタ、もう帰ろうか。母さん置いてきぼりじゃ、かわいそうだよね」
「うん、ぼくら、帰ろう」
ミヤコがシュウタの手を握り、シュウタが目を瞑る。
「ねえさんぼく、歌いっぱい練習するよ。そしたらねえさん、お父さんに会えるでしょう」
「そう、シュウタは歌、練習してくれるの。じゃあたくさん練習して、上手になったら、またここ来ようか」