小説

『星めぐりの』ノリ・ケンゾウ(『 銀河鉄道の夜』『双子の星』宮沢賢治)

「ねえさん、駅、見えたかな」
「見えてないよ。あ、シュウタまた目、瞑ってるんでしょ」
「瞑ってないよ」
「うそ。どこにも駅、見えないもの。シュウタ、目、開けなよ」
 ミヤコに叱られ、しぶしぶ目を開けると、朝もやに覆われる白の風景が目に入りこんでくる。
「ねえさんこの白いの、なんだろう」
「もや、朝もや」
「もや? もやって、なあに」
「もやはもや。それ以上は知らない」
 ふーんとシュウタは相槌うって、綿菓子みたな真っ白いもやを見ているとなぜだかいつも母が冷蔵庫の中から出してくれるヨーグルトが食べたくなるような心持ちがしてきて、
「ああ、今日はヨーグルト、食べなかったねえ。どうしてだろう。あ、そうだ、姉さんぼくら、母さんにおはようしてないよ。だからヨーグルト、食べてないんだ。どうしよう、ヨーグルト」
「そんなのいいの、おはようは、帰ったら言えばいいし、ヨーグルトも帰ってから食べる」
「でもねえさん、家に帰るころには、おはようじゃなくなるよ」
「そんときはただいま、って言えばいい」
「おはようはどうするの」
「そしたら明日の朝、言いなよ」
 そうか、とシュウタは納得して、ところで駅はいつになったら現れるのだろう、と思う。家から駅までの道のりは、そう遠くはないが、シュウタにはとても長いように感じる。玄関を出てまず右に真っ直ぐ歩くと、止まれの標識のあるところを左に曲がる。そこから新幹線の高架下沿いをまっすぐ歩いていると左に林が見え、そこをまた左に少し勾配な坂を登って行ってそのまま下った先にシュウタの通っている幼稚園が見える。幼稚園は前に通っていたところよりとても大きい幼稚園だった。お城を模したような大きくて豪華な遊具まである。といってもそれはシュウタにとって大きく豪華に見えているだけで、そんなものは大人になるにつれ、時期に小さく見えるようになる。シュウタが引越しをしてからそこへ通い始めたとき、はじめ母に連れられて歩いて行ったあと、いざ一人で幼稚園に入るとき母と手を離し離れ手を振り別れると、どうしてか不安で涙がでた。途中で振り返ると、心配そうな顔でシュウタを見つめる母がいて、目が合うとシュウタを不安がらせないように微笑んだ。シュウタはそのときの母のどこか寂しげに微笑む顔を、このさきも度々憶い出すようになる。大学入試の当日の朝。姉のミヤコの結婚式のとき。はじめて一人暮らしを始めて、家を出たときなど。じっとシュウタの背中を見つめて見送る母親に、よくあのときに見た母の表情が、今よりずっと背の高くなったシュウタの頭の中で重なり憶い出される。けれどもその不安だった幼稚園ではすぐに友達ができ、今では幼稚園に行くのが楽しみでしょうがない。幼稚園は楽しいよ、友達はみんなあそこにやってくる、すごいところだ、とミヤコに云うと、そう、私はよく覚えてない、幼稚園、とぶっきらぼうで、ミヤコはどうしてこんなに楽しい場所を忘れることができるのだろう、と不思議に思ったのと同時に、自分もミヤコの背くらいに大きくなったら忘れてしまうものなのだろうか、こんなにも楽しいことなどを、と淋しい気分も起きてくる。駅までの道は、この幼稚園のある道を抜けてからがどうしてもシュウタにはむずかしい。それにミヤコに連れられて歩く今日は、目を瞑ってしまっていたからシュウタはまたもや駅までの道が分からないままになる。いつになったらシュウタは一人で駅に行けるだろうか。行けるように、なったのか。

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