小説

『忘れえぬ訪問者』登石ゆのみ(『忘れえぬ人々』)

 少し不自然な合いの手だったことには触れずに、春丘は先を朗読し出す。
『彼は、かつてこの場所で交通事故にあったという。暴走した自動車にはねられたそうだ。太ももを複雑骨折するほどの重傷で、意識が途絶えようとする中、最後に見たのがそのお地蔵様だったという。無我夢中でお祈りをしたという。その直後に意識を失ったそうだが、すぐに病院に運ばれて一命を取り留めた。そして、不自由ではあるが歩けるようになるまで回復し、退院後は毎日、お地蔵様に水をかけているという。苔地蔵は満足げに笑っているように見えた』
「いい話だ。今もそのお地蔵様は苔をかぶっているのか?」
「お地蔵様はあると思う。ただ、苔があるかどうかは、わからない」
 苔がなくなっているということは、水をかける人がいなくなってしまったということだ。
「道路沿いだったから、ストリートビューで確認できると思うが……」
 先ほどの老婆の記憶が、二人の頭の中に蘇る。
「まあ、悪いものじゃないはずだし、こういうことができるのが、ネットのいいところだろう。確認してみよう」
 中津は勇敢な戦士になったかのような表情で、テレビ画面を見つめる。
「わかった。見よう」
 それに応えた春丘は、さながら英雄の愛馬のように凜々しい顔つきだった。
 しかし二人とも体が動かず、まずは手元の酒杯を空にする。甘い香りのする日本酒が二人の戦士の喉を通過する。
 そして二人はその杯をじっくりと眺める。そのお猪口は立派な焼き物で、宿の主人が金沢に行ったときに手に入れた九谷焼だという。結構値が張るらしい。
 ようやく決心がついたのか、膝を叩いて春丘がテレビ画面の電源を入れる。今度はテレビ画面は普通の番組を流し始めた。何かの語学番組のようである。
 二人はほっと息をつく。
 しかしパソコン画面に切り替え、ストリートビューでその地蔵を見たとき、変なことが起こった。結論から言うと、その地蔵はまだ苔をかぶっていた。
 そのときまでは順調で、二人とも、良かった良かったと笑顔を交わした。しかしその苔地蔵を拡大してよく見ようとしたとき、異変に気が付いた。
「……この苔地蔵の前に並んでいるお供え物の酒、今飲んでいる奴と同じだ」
「……おお、本当だ。まあ、酒なんて今やネット通販でどこでも手に入るし、そんな偶然があってもいいだろう」
 なぜか早口で中津がフォローする。実際に、ラベルはまったく同じ物だった。

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