小説

『小さな私の思い出』加藤饅頭(ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』)

 新しいアパートに移ったあと、まさか夏がそんな風になるとは思っていなかった。つまり、トイレに夥しい数のハエが発生するとは思いつかなかった。私はむしろそれを好機と捉えた。ハエのいなくなるスプレーを一度放射するごとに、同時に二つの効果をあげることが可能になったからだ。ハエの舞うなかに裸の下半身を晒すのは不衛生なことだが、そのぶん楽しみもある。私はスプレーを発散して、次いでもう一度発散した。私が、容易には納得しがたい結論を得たのはそのときである。そう、ハエがいなくなるスプレーを使用しても、ハエがいなくなったりはしないのである。
 私は薬局に走り、次のスプレーを手に入れた。その名もハエのいなくなるスプレー。違いがおわかりだろうか。商品名こそ似ているが、その効果はまったくの別物だ。ハエのいなくなるスプレーを噴射するや、二、三秒、いや、一、二秒だろうか、あんなにも生きていたはずの無数のハエが、全部死んでしまった。そう、私はアパート内で唯一の生きている生き物と変わり果てた。ほとぼりが冷めて台所で野菜を炒め始めた頃、私ははたと気がついた。今、私の部屋では野菜の炒まるにおいがしないばかりか、むしろ便のにおいがする、と。
 理論的に言えば、ハエがいなくなるスプレーを放ったことで、ハエこそ退治できないが、便のにおいは一度消えたことになる。それがハエのいなくなるスプレーを放ったことで、今度はハエこそ退治できたが、便のにおいが立ち戻ってきたのである。強火で一気に炒めたかった野菜を、私はいったん保留した。恐る恐るトイレの個室を覗いてみると、こんなことがあるのだろうか、個室の隅で小さな私が排便していた。考えられないことに、つまり便器があるにもかかわらず、便器でなく便器のそばで排便するということが、発想として許されるのかどうかということだが、小さな私が床に便を放出していた。
 生きるということは気づきの連続だと思う。私がそこで気がついたのは、私はこれまで私自身の便のにおいについて、そこまで深く、臭いと感じたことはないということである。小さな私の便は我慢できないほど臭い。このことの矛盾は私に混乱をもたらした。私はこれまで他人のことを他人とみなしてきたが、このことがあって、私が小さな私をも他人とみなしているということが、図らずも明るみに出てしまったのである。
 私は食事が喉を通らなくなった。部屋でごろごろして、二限のゼミや就活説明会へ行かなくなった。食事が喉を通らなければ、人はときに死んでしまう。そういう死に方について、私は雲子さんに相談してみた。雲子さんの考え方は、私の心を捉えた。彼女はこう提案したのだ。今までにないくらい高級な食事をとってみてはどうだろうか、もしそれでもなお食事が喉を通らないのであれば、そのときはもう食事側の責任である、と。
 私は新宿のシズラーの食べ放題へ出かけた。普段であれば、そんな風なぜいたくができるはずもない。それも、今回はあまり食べないつもりだった。食事が喉を通るようになることが唯一の意味であり、価値である、そういう一日にするつもりだった。私は西友と雲子さんを連れていったが、それが失敗だった。雲子さんは就職が決まっていて、西友は進学が決まっていて、私はなにも決まっていなかった。だから、そういうこともあって、二人の前途が明るくて、しかも私より食事が喉を通ることに、我慢ならなかったのである。

1 2 3 4 5 6 7 8