小説

『小さな私の思い出』加藤饅頭(ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』)

 結局、私はシズラーで一口も食べないことにした。私が社会や社会に関係する人々にできる抵抗といえば、そのぐらいのことだった。次の日も一口も食べないことにした。その次の日も一口も食べないことにした。その次の日は携帯の機種変更に出かけた。別に機種変更しなくてもよかったが、食べないことであればなんでもしたかった。家に帰って新しいiPhoneで遊んでいたとき、私はまた気がついてしまった、私はiPhoneを口の中に含んでしまっている、と。
 私は間一髪で新品二年縛りのiPhoneを噛まなくてすんだ。そして、そのことから劇的に私をとりまく世の中が好転し始めた。世の中には温かい方がおいしい食べ物と、温かくて、ピーナッツバターがたっぷり塗ってあって、その上からブロッコリージャムも塗ってあった方がおいしい食べ物との二種類がある。その日、私は後者を食べることから始めた。私は食べたことを覚えていないが、食べ終わったことをはっきり覚えている。そのときに感じたことは、私が人生や人生のような、そういうなんやかやに向かって、今もなお感じ続けているある感覚を模倣している、つまり、まだまだ空腹だということだ。

 五年後、私は空港で同じ食べ物を食べていた。どこの空港かといえば、スワンナプーム空港。休暇を利用して妻に会いにいくところで、トランジットのため私は私自身をタイに押しこんだ。
 なぜ私がタイのことを言うのかというと、そこで再びピーナッツバターとブロッコリージャムを塗った食パンに出会ったからである。もし私が現地時間朝五時という時間も鑑みて、食事より睡眠と考え、その四時間半を長椅子で寝転んで過ごす選択をしていたならば、また、洋風の朝食の店でなく、珍しいタイフードの店に挑戦する選択をしていたならば、そういう出会いは訪れなかった。
 今でも、私はタイフードを食べられなかったことを後悔している。パンは多くの社会で流通しており、国内でも比較的容易に手に入る食べ物だ。タイに行けば、タイフードを召し上がることをお勧めしたい。でも、おかげでいいこともあった。隣の席に、ある有名人姉弟が座っていたことだ。日本語が聞こえてきて、それもどこかで聞いたことのある、でも知り合いの声でなく、先ほど機内音楽で聞いたような……。そうなんです、あの超有名人姉弟歌手と隣り合ったんですよ!
 名前は教えられないが、姉弟といえばもうおわかりかもしれない。私は二人とも握手してもらった。彼らは我々世代のための、最初で最後の才能あるミュージシャンだ。『山月記』や『うさぎ』、『ジュール叔父』といった物語を楽曲に取り入れ、教科書系と呼ばれる音楽を発表している。
「『少年の日の思い出』は?」姉が聞いた。
「知ってますよ」私は言った。「エーミールですね」
「次はそういう曲なんだ」
「すごいな!」

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