泣き声も、苦しむ声も聞こえない。
女は、ただ顔を覆っている。
まるで、表情の無いその顔を隠すように…。
誰かが声をかけるのを待ち構えるかのように…。
そう思った瞬間、俺は始めてぞっとした。
「これ、さっさと行くぞ。長く見ているもんじゃない。」
それと同時に、爺さまがぐいっと俺の手を引っ張った。
「…爺さま、あれはなんだ?」
電柱を二つ三つ過ぎて、家の明かりが見えたとき、俺は爺さまに聞いていた。
すると爺さまは少し迷ったような顔をし、それからためらいがちに口を開いた。
「…坊、あれは『むじな』だ。人を騙す獣だ。」
それを聞いた時、俺はなぜかそれがどういう生き物なのかが想像出来た。
なぜかはわからないが、それはひどく毛深く、野山にいる気がしたのだ…。
…家の人間が、たまに他人のように感じるときがある。
それを父ちゃんに話したら、けらけらと笑われてしまった。
「坊、それは良くあることだ。俺も小さな頃は家の人間がふいに全然知らない人間に思えることがあったものだ。でも、それは不思議なことじゃあない。子供の頃に誰しもが体験することだ。心配するな。お前は確かに俺の子だ。」
そう言って、父ちゃんは美味しそうにビールを飲んだ。
すると、爺さまもそれに同意するようにうなずいた。