小説

『雲の猫』猫野湾介(『蜘蛛の糸』)

 ロータスは食に興味が薄い。おなかがふくれて生きていければ、泥水をすすっていてもいい。生まれつきとびきり綺麗なので、いつも全裸でいる。体からはうっとりするようないい匂いがする。見事な金髪を剃ってしまうから、「全裸に金髪坊主」という奇天烈な出で立ちになるが、極楽が現住所だから、それでもまあ、許される。
 人づきあいも無関心だけれど、釈かの子と世間話くらいはする。近所に住んでいるし、二人とも暇なのだ。今朝ものんびりと、雑談をしていた。
「ああ、時間の無駄だったわ。喜捨セミナー、収穫なし!」
 釈かの子が地元の気安さで、野太い地声を出した。
「十分、もらってきたでしょ」
 ロータスはすかさず反論した。釈かの子の今朝のドレスはイブ本人がデザインしたオートクチュールのサンローラン、靴は限定品のロジェ・ヴィヴエ。唯一、指輪が入る嵌る両の小指に幾多の宝石が輝いている。すべて喜捨セミナーの戦利品だ。もっとも、太っているのでドレスのファスナーは全開だし、極度に幅広な扁平足が、美しい靴のシルエットを無残に押し潰している。
「あっ、ロータス。今、『デブには似合わないけどね』って思った?」
「まさか。そんな罰当たり、思いませんよ」
「いやねえ、『昼顔』のオマージュなのよ。ま、『昼顔』後のドヌーヴな感じは否めないわね。研ぎ澄まされた美しさが、すっぽり肉の着ぐるみに覆われた感じ?」
 ドラァグクイーンのような作り声でまくしたてた釈かの子は悲しそうな顔をし、今度はおっとりした本物の女の声で言う。
「でもわたし、ダイエットしてるから。食べて痩せるダイエット」
 眉を下げて、大げさなため息をつく。
「だからあなたにサクラのバイトまで頼んで喜捨セミナーをしたのにねえ。結局、手に入らなかった。人間のぷくっとした自己愛ほどおいしいものはないから、下界から釣り上げて、今日のランチにしようと思ったのに」
「でも、下界は自己愛だらけで、どれもぷくぷくに太っていたじゃないですか」
 ロータスの言葉に、釈かの子はまくしたてた。
「何度教えても、わかってない子ね。たしかに『すべてを捨てた本当の自分になりたい』なんて、もろに自己愛よ。だいたい、そんなことを喚いている輩は、空っぽでしょ。すべてを捨てたら何にも残りゃしない。ただ『ビバ! 自分』っていうぷくぷくの自己愛だけが残るの。ただしね、たいていの自己愛は加工されてる。おいしいけど添加物だらけで、体に悪くって。ほら、ダイエットはヘルシーじゃないと」
「はいはい、オーガニック・ダイエットですよね。でも、昔は添加物まみれの〈加工自己愛〉がお好みで、よく召し上がってませんでした?」

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