小説

『夜鷹の照星』清水その字(『よだかの星』宮沢賢治)

 小屋の中で水筒の水を一口飲み、一義はふと自分の服に目をやった。ここへ辿り着くまで匍匐前進を繰り替えしたため、茶色の軍服はあちらこちらが擦り切れ、泥で酷く汚れている。
 脱ぎ捨ててあった戦闘帽を被り、全長百三十センチ足らずの銃を手にした機関部に『九七』の文字と菊の紋章が刻まれ、円筒型のスコープが取り付けられている。木製の銃床が少し煤けているが、銃身の手入れは行き届いていた。九七式狙撃銃……これが一義の相棒だ。
 銃の重みを感じながら、ゆっくりと窓から外を見る。丘の上にあるこの小屋は見晴らしが良く、夜明け間際の荒野を一望できた。地平線の向こうから陽光が差し始め、まばらに生えた草が金色に染まった。それらを踏みにじり、蟻の列のような影が遠くからやって来る。
「始めるか……」
 呟きつつ、銃の槓桿と呼ばれる部品に手をかける。それを半回転させて手前に引くと、弾を装填する口が現れた。五発連なった銃弾をそこへ押し込み、口を閉じる。深呼吸をして、銃身を窓から突き出して構え、スコープを覗いた。十字線の刻まれたレンズ越しに、接近してくる隊列を睨む。
 敵は一個小隊、約三十人ほどだ。肩にライフルを担いでいたり、機関銃を首からマンドリンのように提げたりしている。この後で大部隊が来るか、または戦車でも来るか。だがどの道、自分はここから生きて帰れないだろうと、一義はぼんやりと覚悟していた。

 ふと、家族のことを思い出す。一義には二人の弟がおり、それぞれ飛行機乗りと、粋な船乗りだった。泥と埃にまみれているのは、兄弟の中で自分だけ。いい加減にこんな軍服は脱ぎ捨てたいが、一義は戦い続けねばならなかった。同じく敵の足止めとして五人の狙撃手が配置されていたが、まだ生きているのは自分一人だ。
 そして自分も、もうすぐ死ぬのだろう。せめて弟たちにお別れを言いたいが、それも叶わない。諦観したまま、照準の中に捉えた敵を追い、射程に入るまで待つ。

 距離三百メートル。スコープの十字線を、隊列の中にいる将校に合わせる。遠くて顔はよく見えないが、まだ若そうだ。近くには機関銃を持った兵士もいて、何やら会話しているようだ。警戒している様子はなく、もう勝ったと思っているのだろう。

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