小説

『少女変身』三浦佑介(作)/三浦梢(原案) (『変身』フランツ・カフカ)

「グレゴールザムザはね、人として見てくれる人が一人もいなくなったから、毒虫に
 なってしまったの。彼を人として観測してくれる人が一人でもいたら、ザムザはせ
 めて人として死ねたはずなのに。」
「あたしは、グレゴールザムザでもないわ。」
「それもそうね」
 突如響き渡る、ガンッという激しい音。
 少女が叩きつけた拳から、ポタリとこぼれ落ちる赤いしずく。
 あんなに穏やかだった日々が嘘のように、身体中の産毛が逆立つように、少女の心がざわりと波立った。
 幾分かの静寂が流れた。
 それから、少女は、毒虫になった自分が、いかに晴れやかで、自由な気持ちなのか、人間でいることの重さと軽さとがいかに自分の脳みそにフィットしていなかったのか、少しずつ少しずつ確かめるように、噛み砕くように、噛み締めるように、話したのだった。
「……でも、一人で毒虫になってしまうなんて、随分、虫のいい話じゃない?」
 と、親友はあっけらかんと言い放った。
「ちがう、ちがうの、だから、あの、ちがくて、だから、私、あの、あたしの、人生、と、いったものが、今まで、あったのというのなら、それが、きっと、今で、今、あたしは、今までが、嘘のもので、だから、私は、私の人生を、いや、そうじゃなくて、
今までを否定をしたいわけではなくて、ここでいるものを、だから、どうすればいいのか、と思って、それで、だから、あなたが、だから、あなたが、あなたに、いや、あなたが、私を、心配を、することが、しなくてよくて、だから、なんていうか、わたしは、うん、そう、だから、私は、大丈夫だから。いろいろ、心配かけているけど、わかるんだけど、あなたに、私が観測されている内は、私は、わたしを自由に考える事ができなくて、だから、うん、そう、大丈夫、
大丈夫なの。心配しなくていいの。そう。もう、私は、ただの毒虫であって、人ではないからそうやって、静かに死んでいく
だけなのだから、別段、困る事がないの。

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