小説

『ツバメの涙は』柘榴木昴(『幸福な王子』)

 モザイクがかった体の内部へ切り張りされた真紀達。
 燃やされる前に移った真紀達。
 臓器移植だ。脳死と診断されてから間もなく、そして跡形もなく真紀の中身は持っていかれた。僕の知らない人たちのために。冬の寒空の貧民街の人々のもとへ。
 人々は幸せなのか。その金箔は、ルビーの瞳は、王子のものだ。高貴な王子の血肉だ骨だ。ツバメが剥ぎ取りくり貫いた――
 なぜ、ツバメは王子に従ったのか。愛する人のためにか。
 貧しい人のためにか。誰が救われたのか!
 悪はなんだ。貧困か。貧しい人々は王子の黒ずむ屍に向かって頭を下げれば幸福なのか? 
 誰かの犠牲で成り立つ幸福が、自分の血肉を運ばせる幸福が本当に、冷たくなっていくぬくもりが本当に幸福なのか。だれが人々を渇かせ王子を殺しツバメを、ツバメを……。
 彼女が、真紀が臓器移植カードに記入するときに、なぜ僕は成すがままに彼女に任せたのか。死にゆく命は命じゃないのか。死んでも真紀は真紀じゃないのか。誰かに取り込まれた真紀は真紀なのか。彼女の意思は彼女そのものか。それは違う。断じて違う。空っぽになった真紀は、死んでも生きてもいない。宙釣りのまま世界からばらばらに消えてしまった。
 墓石を前にうずくまる。この下に真紀はいない。半分もいない。灰ですらない。
 あの時。真紀がカードに記入する前、自分の病気が治らないと知った半年後。「死んでも誰かの役に立てるなら」と震える手を深呼吸で押さえて書こうとした。僕は手を添え、琥珀のような瞳にマッチ売りの少女を重ねていた。一筋の夢の中で死を見出す健気な少女の魂だ。僕はマッチ以上になれるだろうか。ならなくてはならないのだと心に彼女の署名を焼き付けた。
 真紀に向かって医者が何かをつぶやいた後、沈黙の中4時間で彼女はさばかれ開かれ抜き取られた。魚のように。真紀は、僕の目には人でも魚でもない。もちろん人魚姫でもない。真紀の痕跡になっていた。空っぽの部屋に落ちていた艶消しピンクの万年筆のように、ぬくもりの残っている枕のように、それは真紀のものであって真紀ではない。

 真紀の行いは、決断は正しく誇らしいと誰もが言った。残された者達は真紀の気高さを最後の思い出に、胸と墓標に刻み込んだ。彼女は誰かの中で生きている。そうやって名もない臓器を見送って振り返ったとき、僕の魂は半分削がれていた。
 間違っていない。真紀は善い行いをしたんだ。そう思い込まなければいけないと僕の中から声がした。僕は内からその声を響かせる硬くうごめく何者かを瞬殺した。そうして半分、良心や善意というものが社会の土に還された。

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