小説

『ツバメの涙は』柘榴木昴(『幸福な王子』)

 分かっている。ツバメは王子の役に立って幸せだったはずなのだ。人々を恨んでもいないだろう。王子の選択を、その心根と志に寄り添えたツバメは、幸福だったのだろう。
 でもわがままを言ってはいけないのだろうか。同じことを言うだろう。みんな同じことを言うだろう、私の大切な人のためなら無名の誰にも価値はない。お前は死ね、私たちは生きる。そう言うだろう。僕だって人々と同じことを言う権利がある。大切な人はどこかで生きている、そんな御託はどうでもいいのだ。僕の知る中で、僕の目の前に、死という避けられない現象ならせめて死という形で、僕の前に。真紀はどこへ散らされた? 真紀は本当に死んだのか? あのメスによって、温かい心臓が摘出されたときに死んだのではないのか。真紀は誰に殺された? 医者か、人々か、真紀自身か、それとも震える真紀に添えられた手の持ち主にか?
 誰でもない、と誰もが言う。それを社会といえばいいのか時代といえばいいのかはわからない。日本のどこにでもある葬式と墓石は、ちぐはぐに真紀の身体を弔った。
 でも真紀は死に切っていない。なぜなら、誰か匿名で名のあるその誰かが真紀の内臓を、角膜を、骨を必要としていたんだ。それが誰かはわからない。そいつが誰なんて関係ない。聖人でも犯罪者でも。でもだれかが欲して真紀の身体をと取り込んでいるんだ。
 灰でもいい。僕は彼女のすべてをこの手に掬いたい。

 なあ頼む、僕も中に入れてくれ。もう半分引き受けてくれ。僕は真紀と死にたいんだ。だめなのか。僕は死なないからか。真紀はどうせ死ぬからいいのか。生きていたぞ。僕の真紀は生きていたぞ。心臓も動いて、温かくて、瞳も濡れていたぞ。僕の真紀を返せ。お前たち、ツバメが運ばなかったら、その宝石が無かったら幸せになれないのか?
 お前たちは、人々は、貧しさに不遇に負けていたのか? 本当に必要なのは本当に幸福をもたらすのは本当に僕の愛する真紀の臓器だけだったのか? 僕は、僕は、真紀の死体でもいいんだ。真紀の灰でもいいんだ。真紀は顔だけじゃない。脳だけじゃない。爪の先一つだって揃っていて真紀なんだ。
 すぐさま王子の声がこだまする。「じゃあ心臓が無い真紀は? 瞳のない真紀は真紀じゃないのか愛せないのか」
 ツバメが答える。「愛せますよ、心臓がなくたって、骨がなくたって、顔が、脳がなくたって愛せますよ」
 王子は言う。「私も何もなくなった。でもツバメがいてくれた」
 ツバメは言う。「王子からすべてをはぎ取った。でも私は王子のそばにいる」
 僕は叫ぶ。「じゃあ僕の真紀への想いは、この半身えぐられる思いはなんだ」

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