小説

『注射を打つなら恋のように』入江巽(『細雪』谷崎潤一郎)

「なんか、ってなんでしょ?」
「なんでしょね」
 言いながら、お兄さんは、背中をかがめて、吸殻をひろって、火が消えたかどうか、ゆっくり二秒見て、乳白色のゴミ袋にいれた。さっきまであたしがくわえていた吸い口を、なんのこだわりもなく素手でつかまれたんが、ほんのちょっと、恥ずかしかった。そうして、小さく低く、火の用心、と言うて去って行こうとするとき、あたしは、どうしてそういうことが口から出たのか、マッチ一本火事のもと、と言った。ふっ、とあたしを見て、うん、と頷いて、それでそのまま、お兄さんはどっかに行った。かっこいいけど、へんなひとやな、と思った。

 いまではお互い、合鍵持っている。

 オレンジを二個たべて、ながめにお風呂にはいって、エイミー・ワインハウスのアル中ソング「リハブ」繰り返して聞きながらゆっくり、化粧した。
 夕方六時、尼崎駅から五分くらいのりつおの部屋について、インターホンおしたが、まだ帰っていないみたい。鍵あけて入った。玄関には、なんでおんなしのばっかり買うんか知らんけど、マーチンのエイトホールが三足、転がっている。色もぜんぶおんなしチェリーレッドでみんなクタクタ、いま履いていってるのあわせて、四足あることになる。脱いであるの見ると、履いてるときよりおっきい印象で、小さい岩がごろごろしとるみたいやナ、と思った。くさそう、そう思ってなんとなくいっこ嗅いでみたけど、革のにおいしかしなかった。
 あたしのと同じくらいの狭い部屋、暗くて、冷えていた。それでも外よりは、すこし暖かい。床に直におかれたスタンドだけつけて、暖房のリモコンもピッと鳴らして、りつお待つことにした。いつもの感じで言うと、だいたい六時半には帰ってきよる。
 暇だナ。レコード、見よう。棚を適当に見ていく。あたしは、りつおと「仲良く」なるまで、レコードって見たことがなかった。
音楽はだいたいレコードで聞いています、自分の部屋では、とりつおが言うたとき、あたしの頭に浮かんだんは、なんかのアニメで出てきた蓄音機やった。蓄音機はえらい大きいもの、とあたしは思っていたので、「蓄音機なんてあると、部屋、狭ならん?」と聞いたら、ん、とりつおは首をかしげた。蓄音機でかけられるのはSP盤というやつで七十八回転、使われたのは戦前とかです、俺は、三十三回転のLPか、四十五回転の七インチしか買わないんです、普通のターンテーブル使います、言うて、そのときは意味、よくわからんかった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9