小説

『注射を打つなら恋のように』入江巽(『細雪』谷崎潤一郎)

今日も元気です。ラララララ。サワムラリツオ

 「はっこ」て。
 りつお。よう食べるね。ラララララ。

 文字はかすれ気味、素敵な感じとアホらしい感じと心配になる感じ、それぞれそのまま残されたようなへたくそな文章、いつも通りで、あったかい便座におしりが触れたさっきみたいに、あっって声が出そうになる。丸出しのままでいるからか、あたしの心もこの個室で無防備で、いまウォシュレットのぬるいお湯、いいところに柔らかくあたる感じといっしょになって、ぞわっとする気持ち良さ、淡くあたしを包む。
 きのうの夜、ラインで、りつおはこんなこと一言も書かんかった。よる十時すぎからはじまったやりとり、十二時半くらいまでけっこう続いて、あたしたちはインディ・ジョーンズとスターウォーズはどっちがおもしろいかをたのしく議論した。あたしはスターウォーズを推して、りつおはインディ・ジョーンズを推した。インディはヘビがきらいなとこがいいとぼくは思います、わかりやすい弱点があってそれがいいです、そんな話しかしていないので、そのやりとりをあたしたちがする前、りつおがシャブを引こうとして新今宮に行っていたこと、スカンクというのキメながらラインしていたこと、いまはじめて知った。

 トイレ出る。廊下の途中、大学の保健室のようなところあって、横目で見た掲示板、ポスターに、薬物はあなたの人生を確実に変えてしまいます、書いてあった。どんな風に変わるのかナ。
 大学んなかで一番ひらけた感じの屋外喫煙スペースまでゆっくり歩いた。ベンチには、あや、ちさき、その他もろもろおったけど、手を振ってお疲れお疲れ、やり過ごす。お疲れ、ってみんな言う。あたしも言う。なんでやろ。
 少し離れたところでアメリカンスピリットのメンソールに立ったまま火をつけ、吸った。みんなと話すことなんだか薄くて、いまのあたしにはもうつまらん。四限の比較文化論も、出たくない。もとから興味もあんまりない。というか、ずっとすべてつまらんかったのに、あたしそれに気づいてなかった。指名のお客さんが何人かつくくらいにはこなせていた三ノ宮のキャバクラのバイトもやめた。たまにセックスしていた男の子たち何人かにも、もう会わないことにした。あたしはたぶん暇で、面白いような気がしたなにか、気持ちいいような気がしたなにか、欲を満たすことのできたなにか、そんなのでそれなりに時間を埋めていただけやった。
 もう授業はええわ。帰ろう。裏門へ歩いていると、プレハブ二階建ての購買部、その横のスチール階段、りつお、モップで掃除しとるの、遠目に分かった。これがりつおの仕事で、ひょろひょろの背の高い丸坊主、二十メートル離れててもわかる。後ろを向いて、かがんでる。弓のようないい背中。あたしの好きなひとは大学の掃除夫、きれいにするのが仕事です。
すごく近づくまでりつお、あたしに気付かんかった。目だけであたしの姿認め、ほんの一瞬だけ恥ずかしそうないい笑顔向けてくれたので、嬉しなった。中指つきたてファックユー、それからすぐに笑顔で手を振った。お疲れさま、って心の中で言う。

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