小説

『三万年目』清水その字(古典落語『百年目』)

 結果から言うと、ハナグロは立派な猫又になった。人間に化けることもできるし、頭に手ぬぐいを被って踊ったりもできる。ポルターガイスト現象やラップ音などの技も身につけたので、ひとつ人間の町へ出向いて都市伝説でも作ってやろうか、それとも人間に化けて美味い物を食いに行こうかなどと夢が広がる。特に猫時分には毒だった『チョコレート』や『ネギたっぷりチャーシュー麺』などを一度食べてみたかった。人間に化けて食べ、全部消化するまで変化を解かなければ食あたりを起こすこともない。
 ただ問題があった。ハナグロは白猫だったが、鼻周りの毛だけが黒い。人間に変化すれば目鼻立ち整った美青年になるものの、鼻周りには黒い模様がべったりと残ってしまうのだ。より修行を積めば消せるだろうと大将に言われたが、すぐに町へ出るのは止めた方がよさそうだ。
 だがせっかく人間に化けられるようになったのだから、猫にはできないことをやってみよう……ということで、ハナグロは釣竿をこしらえて川へ出かけるようになった。今日も青年の姿に変化し、イワナの住む川に糸を垂らしてみる。
「南の国に住んでるスナドリ猫ってのは魚を獲るのが上手くて、手に水かきまであるんだよなぁ。変な奴がいるもんだ」
 博物館に住み着いていただけに妙な知識を持っている。実は魚を専門に食べるネコ科動物はそのスナドリ猫くらいもので、日本の猫は魚介好きな日本人に合わせているだけだったりする。ハナグロも魚は嫌いではないが、猫又になっても水は苦手だ。念力で捕まえれば楽だが、妖術の乱用は好ましくないものとされている。
 こうして気ままな妖怪ライフを送る彼だが、最近気になることがあった。
「やあ、ハナグロ!」
 透き通った陽気な、女の声が聞こえた。おいでなすったな、と呟いて振り向く。
「これはマカさん、おはようさんで」
「いやー、今朝も時差ボケのせいで寝坊しちゃったヨ」
 にこやかに笑う顔に木漏れ日が差した。日焼けした肌に白いワンピースがよく似合っている。端正な顔立ちでつり目がちな、どことなくエキゾチックな美貌の人間女性だ。いや、人間に見えるが、妖怪が見れば同じ化生の者だと分かる。

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