小説

『三万年目』清水その字(古典落語『百年目』)

 デートの経験がないわけではない。四、五歳で死を迎える者が多い野良猫の中で、ハナグロは二十年も生きてきたのだ。美人もとい美猫の三毛と付き合ったこともある。しかしただの猫だった頃と違い、二匹で残飯を漁って昼寝をしてグルグル回って小便して帰るわけにはいくまい。行き先が町である以上、熊と戦うことにはならないだろうが。
「私としては、ハナグロが住んでたところを見てみたいナ」
「自然科学博物館ですか。よござんすが、大将には内緒にしといてくださいよ」
 心配事の一つがそれだった。客人と二人で出かけたことが知られて妙な噂が立っては困る。ましてマカは一見凄そうには見えなくても、猫又仲間だけでなく狐や狸からも尊敬されている大妖怪で、惚れているオスもいるらしい。それが自分のような修行中の猫又とデートしているところなどを見られれば、せっかく冷戦が終結に向かっているところへ抗争の火種が生まれるかもしれない。大将に食われるのはご免だ。
「分かってる分かってる! さあ、出発!」
「あ、ちょっと……」
 マカが背を向けたとき、ハナグロは目を見開いた。スカートの下からちらりと見えた物に視線が釘付けになる。ベージュ色の短い尻尾が揺れていた。二股に分かれたそれは猫又の証であるが、その滑らかな毛並みが血を熱くさせる。ワンピースの裾から見え隠れしているのが尚更興奮を誘う。人間たちが話していた『チラリズム』なる言葉の意味が分かった気がした。
 尻尾は数秒間チラチラと揺れ、やがてスカートの中に姿を消した。ハナグロがはっと我に帰ったとき、マカは舌をだして笑っていた。

 

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