彼女は言った。
「え?」
「あ、駄目。そのままそのまま」
僕が振り向こうとすると、蘭子さんは片手で僕の肩を押さえた。そのまま、彼女はコーヒーをテーブルへ置き、その手で窓を指さした。そして不安定なリズムを刻むように、何かタイミングを見計らっている。
「ほら、泣いてるみたい」
蘭子さんは、窓に映った僕の顔を指した。正確には頬を。その透けた頬へ、窓を濡らしている雨のしずくが、落ちてきた。
「・・・ああ」
僕が納得すると、彼女は満足そうな顔をして去って行った。僕は肩に残った細い指の感覚を、逃すまいとした。しかしそうしなくても、窓の中の彼女の後姿が、実際の彼女自身が、僕から遠ざかって行くのとは反対に、触れられた場所はジンジンと熱い。窓の中が、そこに僕が描いた景色が、揺れる。アウトプットされた想いが、実はそこへ閉じ込められていたことに気づき、枠を壊そうとするように。
コーヒーの香りが、僕の意識を店内へ戻した。蘭子さんの淹れたコーヒー。彼女が、僕へ選んだコーヒー豆。まずは、それを当ててみよう。