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「今日はアフターありがと」
女の手を握ると、零は爽やかに笑って言った。女が「キャー」と言って首に手を回して抱きつく。酒臭い熱い息が零の首筋にかかる。アフターで入った高級焼き肉店で二十万ほど使った後だった。キスをねだる女を宥めながらタクシー乗り場まで送ると、タクシーに乗り込んで名残惜しげに窓に張り付いている女に笑顔で手を振った。
女の姿が見えなくなると零は襟元の匂いを確かめた。スーツには女の香水に混じって、焼き肉の煙臭い匂いが染み付いていた。
もう上がりの時間だったが、一度シャングリラに戻ってスーツを着替える必要があった。クリーニングの手配は黒服がやってくれる。もちろんチップを渡す。零はそういう出費は惜しまない。黒服が良い印象を抱いてくれると、フォローもそれだけ手厚くなるからだ。
歌舞伎町でもさすがに朝方近くになると歩いている人数が減り、表に出されたゴミ袋の周りにはカラスが集まってくる。それでも人通りのとぎれないメイン通りを歩いていると、ふとどこからともなく目線を感じた。
じいっと何かもの言いたげな目線だ。零はそういう目線に敏感なのだ。客が何をして欲しいのか、何を言って欲しいのか。目は口程にモノをいう。そして口と違ってあまり嘘をつかない。
周りを一通り見渡して、ビルの一角に足を向けた。派手な看板と無造作に張られた無数の広告の壁となったビルの隙間。視線はその隙間から向けられていた。
ビルとビルの隙間は十五センチほどしかないだろう。猫なら通れそうだが、人間ではとうてい通れない隙間だ。忘れられ、取り残された都会の間隙。いっそ塞いでしまえばすっきりするだろうに。
しかし零がのぞき込むと、そこに女がいた。十五センチの隙間にみっしりと、女が詰まっている。蒼白な顔をこちらに向けて、口をぱくぱくとさせている。
真っ黒な目が零を見つめて、何か救いを求めているようにも見えた。
「どうしたの、お嬢さん?」
「ずっとここにいるの……」
「そうなの? こっちに来て僕と楽しいことしない?」
「ずっとここにいるの」
「そっか。じゃあ僕もここにいようかな」
零はそう言って、入り口の壁に寄りかかった。