「――ありがとう」
受け取ったティッシュで目元を拭いながら、清子は青年を探した。しかし、目立つ筈の蛍光緑のジャンパーは、ほかに見当たらない。
「あの、彼は」
「彼?」
「誘導係の、若い男の子がいたでしょう。大学生くらいの」
男性は怪訝な顔で眉を寄せた。
「今日の誘導係は私ですが。若い男の子……どんな子ですかね」
「どんなって」
説明しかけて、清子は言葉を失った。
思い出せなかったのだ。ついさっきまで、隣で話をしていた筈なのに。
顔も、声も、優しい手つきも、その実感は確かに覚えているのに、言葉にしようとするとすり抜けてしまう。
それは、覚えのある感覚――彼を思い出す時と、同じだった。
「どうしました?」
「あ、いえ……いいんです。わたしの勘違いだったみたい」
余ったティッシュを男性に返すと、清子は杖を手に取った。
「大丈夫ですか?無理せずに、少し休んでいかれたら」
「ありがとう。でも大丈夫。素敵なコンサートだったわ」
清子がしっかりとした足取りで立ち上がると、男性はいくらか安心した様子で微笑んだ。
「あれは雅楽をオルガン用にアレンジしたのですよ。お気に召して何よりです」
「雅楽……?」
清子は戸惑った。
今も耳に残っているあの曲は、曲名も歌詞も思い出せないけれど、外国語の歌だったことは間違いない。