小説

『タンホイ座』佐藤奈央(『タンホイザー』)

数日後、ヒトシが出勤すると、会社がつぶれていた。
振り返ると、思い当たる点はあった。最近、会社が妙に広々としていたのは、倒産を察知して早めに辞めた社員の机が減っていたからだ。社内が明るいのは、窓際のロッカーがいつの間にか撤去されていたからだ。女子社員が気さくになったのは、いろいろどうでもよくなって、ぶっちゃけたからだ。こんな時に、童貞を捨てて舞い上がっていたマヌケな自分に、ヒトシは心底呆れた。

悶々とした感情を抱えて家路についた。こんな時に金があれば、やけっぱちで「ソープランド ヴィーナス」に行ったかもしれない。しかし、これから収入がなくなる男に許されるはずはなく、何より、稽古場で受けた非難の視線を思い出すと、とても行く気にはなれなかった。近所のレンタルビデオ店へ行き「18歳未満お断り」ののれんを勢いよく跳ね上げた。怒りに任せるように、DVDを抱えられるだけ抱えて、レジに並んだ。

ところが、帰宅して鑑賞を始めると、ヒトシは異変に気が付いた。
股間に、まったくもって情熱が集まらないのである。作品の趣向や、女優さんの問題かもしれないと思い、別のものも再生してみたが、どれもダメだった。イヤな予感がして、慌ててスマホを操作し、キーワードを入力して検索した。「勃たない」「突然」「原因」……。
すると、性病科の医師が綴るブログに目が止まった。
「インポテンツ(ED)の原因は様々で、経済的なことがきっかけになることも多いのです。リストラ、倒産、失業など、大きなショックを受けた場合、突然……」
ヒトシは目を閉じた。上手く息ができなかった。
                   ◆
翌日、古村から稽古場近くの喫茶店に呼び出された。5年前、入団の誘いを受けた、あの店である。退団を迫られるに違いなかった。無職、素人童貞、インポテンツ。ただでさえ、我ながら目もくらむような三重苦だ。もはや失うものは何もない……。
ところが、古村から発せられたのは、意外な言葉だった。
「エリサのこと、どうするんだよ」
ヒトシはポカンとした。
「普通に考えて、好きでもない男のために、あそこまで言わないんじゃないか? オレたちは、お前のやったことにはガッカリしてるよ。でも、エリサを悲しませるのは本意じゃない。男なら、何かの形で、気持ちに応えてやるべきなんじゃないのか?」

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11