小説

『ジャックと〈ジャック〉と竹とタケコ』大前粟生(『ジャックと豆の木』『竹取物語』)

 その頃、月は慌ただしかった。罪人を下界送りにして、しかもそれを迎えにいくことなんかもうずいぶんとなかったことだから、みんな遠足気分だった。遠足気分だったといっても、月の人はみんな天の羽衣を着ていて感情がなかったから、バスケットにサンドイッチを詰めたり、規定の金額以上のお菓子を持っていこうとしたりする様は不気味だった。サンドイッチもお菓子も、おいしそうだからとか、見栄を張りたいとかのためではなかった。ではなんのためかというと、それは本人たちにもわからなかった。わからないということさえわからなかった。月には小麦も野菜も、塩も砂糖もうまみ成分もなかったから、サンドイッチもお菓子も、バスケットだって砂でできていた。月の国は華やかだったけど、灰色だった。いや、灰色というより、色がなかった。みんな無表情でせっせと下界に降りる準備をしていた。まるで機械みたいだった。機械みたいだったから、みんな秩序だって列を作って、下界に降りるための〈クモ〉と呼ばれる乗り物に乗り込んだ。でも、あまりに月の人の数が多かったから、ひとりの月の人が〈クモ〉からはみ出して、タケコがいるところとは別のところに落ちてしまった。
「大丈夫ですか!」ジャックの父親が、地面に倒れ伏した月の人の体を起こした。
 ジャックの父親は空を見上げた。まるで上から急に落ちてきたみたいに、月の人が現れたからだ。空には大きな月があるばかりだった。月が明るかったから、他のどんな星も見えなかった。
 月の人がなにかいった。
「え?」ジャックの父親がいった。
「パパ、外国の人?」ジャックが聞いた。
 月の人の言葉はふたりにはわからなかった。月の人は言葉をふたりに合わせようと、さまざまな言語を口から出した。
〈Спасибо〉〈شُكْرًا〉〈Merci〉〈Tesekkur ederim〉〈谢谢〉〈ขอบคุณ ครับ〉〈Thank you〉
「あ、サンキュー。サンキュー。わかります。サンキュー、わかります」
「サンキュー?」ジャックが聞いた。
「ありがとう、って意味」
〈Thank you〉〈ありがとう〉〈Thank you〉〈わかります〉〈ありがとう〉〈わかります〉
「日本語、できるんですね」
〈日本語〉〈できる〉〈です〉
「よかったぁ。怪我、ないですか?」

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