小説

『ジャックと〈ジャック〉と竹とタケコ』大前粟生(『ジャックと豆の木』『竹取物語』)

 相手の男はこの小さな国ではびっくりするくらい身分の高い人で、老夫婦は涙を流してふたりの結婚をよろこんだ。女も、育ての親がよろこんでいるのだからとよろこんだ。ふたりが結婚した頃、ジャックが歩きはじめた。ふたりの結婚生活は三年つづいた。夫は崇高な仕事が忙しくてあまり家にいないとはいえ、女が予想していたよりは笑いがあって、悪くない結婚生活だったけど、ジャックたちの方がよく笑っていたし、女はときおり虚ろげな顔を見せることがあった。
 ジャックの父親が死ぬ一か月前くらいから、女は月を見て笑うようになった。自分が月の人であることを、女はまだだれにもいっていなかった。いったところで、だれが信じてくれるだろう。老夫婦でさえ、竹のなかから赤ん坊を見つけたことを夢だと思って、女を本当の子どもだと思い込んでいるというのに。女が笑ってばかりいるので、使用人のひとりが女の父親に告げた。
「奥様は普段からよく月を見ておられますが、この頃はちょっと異常です。まるで、月に取り憑かれているみたいですから、気をつけてあげてください」
 これを聞いた女の父親がいった。
「おい、タケコ、なんでそんなに月ばかり見てるんだ。家のなかはこんなに豪華なのに。買い換えたばかりのシャンデリアや中国から取り寄せた壺、おまえまだよく見てないだろ。こんなに豊かな世の中なのに」
 桃から産まれた男の子が桃太郎と名付けられたように、竹から産まれた女はタケコと名付けられていた。
「月を見ると、うれしくなれるのです。私にはお金も美しさもあるけれど、世の中にはお金も美しさもない人も大勢いる。月から見下ろせばそんなことは取るに足らないこと。世の中が平等に感じられるのです」
「そうか、うん、そうか」女の父親はとりあえずそういった。
 それから一か月ばかり、女は月を見つづけていた。
 ひさしぶりに夫が家にやってきたときには一か月くらいが経っていた。もうすぐ、ジャックの父親が死ぬ日だった。
 女は月が見える窓辺に立って泣いていた。笑ってばかりいた女が涙を流しているから、家の者たちはこれは何事だろうかと大騒ぎをした。問い詰めると、とうとう、女がいった。
「気が変になったと思われるでしょうね。私だって、いいたくないわ。でも、今しかいうときはないみたい。私はこの国の人ではないの。この星の人ですらないの。月の人なの。前世の罪を償うためにこの国にやってきたのだけれど、償いきれないうちに月の人たちは私を迎えにくるみたい。結局、私は貧困も醜さも経験できなかった。与えられた富を捨てられなかった。あと二、三日もすれば、月からお迎えがやってくるでしょう。もうどうしようもできない。避けられないことなの。私に『バカにすんな』といった、あのかわいそうな、不幸な人たちのことが忘れられない。しあわせにしてあげられなかった。そのことを、嘆いていたの」

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