きょとんとした表情の由香に、胸中がざわつく。声色にも表情にも不気味なくらい棘が無い。怒りというよりも戸惑い――いや、それを通り越して、恐怖のようなものが浮かんでいる。
「ごめんっ。本当に心配かけた。事情はあとできちんと話す」
深く頭を下げて上目で様子を伺うと、由香は不審者を見るような目で翔太を見ていた。
「何ですか、いきなり。どうして私の名前知ってるんですか?」
由香の言葉に冷たい汗が背中を伝う。由香に双子の姉妹がいるという話は聞いたことがないし、そもそも名前は由香で正解らしい。双子の姉妹に全く同じ名前を付ける酔狂な親はそうそういないだろう。ということは、目にいる由香は僕の7年来の恋人である青島由香のはずだ……多分、おそらく、いや間違いなく。気まずい沈黙の中、ふと由香の背後に人の気配を感じて、翔太はぎくりとする。
「なんか危ない人かもしれないから、出てきちゃダメ」
由香が振り返ってヒソヒソ声で言うと、言われた側から子供がひょっこり顔をだした。
「あれあれ。兄さん。ようやくお帰りなのですね」
不覚にも安堵してしまった。
「なんでここにいるんだ。それに、いつから俺はお前の兄さんになったんだよ」
「嫌だな、その"にー"じゃないです。何のニーとは言いませんが。ん?ニートは…?くふっ…ふふっ…」
「……」
「あれ、もしかしてヒカルちゃんの知り合いだった?」
「ええ、まぁ」
「……どういうことだよ。由香はどうしたんだよ!」
「あ、そうそう。そうなんですよ。もしかすると言い忘れていましたかね。BAR竜宮城にいる間って、他人の記憶から消えてしまうんです」
「は?」
「こっちの世界との辻褄合わせみたいなのが面倒なんでね。ま、そういうことです。うーん、でも普通、本人が帰ってきたら思いだすんですけどね。恋人を忘れてしまうなんて、おっかしいなぁ」
ヒカルは歌うように楽しげに言った。それからふっと冷たい目をして続ける。