小説

『鉄砲撃ちと冬山』清水その字(宮沢賢治『雪渡り』)

「弾、込めとけ」
 船橋爺さんの顔に緊張が走った。ライフル銃のボルトハンドルを引いて、実包を装填する。俺も散弾銃を背中から下ろして、銃身付け根のヒンジで折り曲げる。ポーチから取り出した一粒弾はずしりと重い。上下に二本ならんだ銃身の根元へ、それぞれ一発ずつ弾を込め、銃身を元どおりにロックする。
 胸の鼓動が早まった。イノシシを撃ったことはあっても、クマを相手にするのは初めてだ。撃たれるクマも災難だろうが、こちらも人命がかかっている。人間を助けるために猛獣を撃つのは、同じ種族の命を救うための行動であり、自然の摂理に則っていると俺は信じる。カラスでさえ仲間が危機に陥れば助けに向かうのだ。
 だから襲ってくるようなら躊躇なく撃つ。が、仕留められるかは分からない。それでも迷わず前進を続けるのは、爺様が落ち着いているからだ。
 足跡を追って歩き、やがて川へ出た。よくイワナなどを釣る場所で、せせらぎの音が耳に心地よい。だが耳を済ましている場合ではない。次の瞬間、安らかな気分とは無縁の唸り声が聞こえた。
「いた……!」
 二つの意味で、俺は呟いた。数十メートル先で黒い巨体と、小さな体が動いていた。丸太のような手足で雪を踏み、猛獣は目の前の子供を睨んでいる。雪の上に倒れた少年は恐怖に顔を引きつらせ、しかし逃げることができず、荒く息をしていた。
 ラジオの音で、クマは俺たちに気づいた。
「ひきつけて撃つぞ」
「……はい」
 照準をクマの胴体に合わせる。奴の頭蓋骨は非常に分厚いのだ。爺様は完全に覚悟を決めていた。今撃つには喜一が近すぎるし、上手くクマだけに当てたとしても、即死させるのは容易ではない。痛みで暴れる猛獣が喜一に危害を加えるかもしれないのだ。だから近づいてくるのを待って撃つしかないのだが、俺たちの命は保証されない。
 だがラジオの効果はあるのか、クマは身じろぎした。俺と爺様以外にも人間がいるように感じているのか。山や森は視界を遮るものが多いので、視力は発達していないらしい。
 そのまま帰ってくれ。念じつつ、銃の照準越しに猛獣を睨んだ。
 と、そのとき。遠くから甲高い遠吠えが聞こえた。犬とも猫とも異なる、獣の声だ。
「おキツネ様だ……」

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