小説

『レーヴレアリテ』柿沼雅美(太宰治『フォスフォレッスセンス』)

 「娘はスーパーでよく他人を私や母親と間違えて服をつかんでしまったりしていた。娘は、このコートの裾をひっぱって私の隣を歩くのが好きで。帽子も、娘には大きいけれど私には頭がぴったりなのを何が楽しいのかとっても喜んでいたんだ。だから、この格好をしていれば娘が気がついて出てきてくれるんじゃないかと思ってね。季節なんて関係ないんだよ、ただこの服を来てこの歩道を行ったり来たりしていないと、娘だって私を見つけられないんじゃないかと思ってね」
 ゆっくりと話すおじさんに、僕は、そうなんですか、と返事をするしかなかった。僕はこれを夢の中のことだと分かっているのに、おじさんが本当のことを言っているような気がした。
 僕が目を覚ましていても眠っていても、おじさんはずっとここで行ったり来たりしているような気がした。
 すみません、と言って、僕は駅に早足で向かった。電車に乗り遅れて絵理香を待たせるのも嫌だったし、おじさんがまたあっちとこっちを行ったり来たりしているのを見るのも心苦しくなりそうだった。
 急いで駅前へ歩いていくと、サチエが改札に向かっていた。この間とは違う、ブルージーンズにグレーのパーカー、何年も着ているようなPコートを羽織っていた。やっぱりサチエはおしゃれではないけれど、本人は気にしている様子もなかった。
 ふと、あれ、僕は今どこにいるんだっけ? と思った。たしか夢の中だから目を覚ましたら夜になる時間帯だろうか。サチエはスーツで研修中じゃなかったのか。会いに行こうとしている絵理香はどこで僕を待っているのだろうか。僕は絵理香と何をする予定だっただろうか。僕は今夜、いや、昼間、いや、夜? どこに帰るのだろうか。明日は仕事だったろうか。明日は何曜日だったろうか。いや、いいんだそんなことは、だって僕はずっと部屋にいるんだから。そもそも、こっちがよければずっと夢の中にいてもいいんだ。じゃあ夢の中でどうしていこう。夢の中にいてもまたそこから夢にいようとするのかもしれない。どうしていこう。
 混乱しはじめた頭のままホームに向かうと、誰かのスマホが鳴った。少し前でサチエが安っぽいバッグからスマホを取り出し、耳にあてた。何かを探しているように僕のほうを見た時、目があった。その瞬間、サチエは僕を見ながら顔をスマホに近づけて口を動かした。その口は微笑みながら、レーヴレアリテ、と言った。 

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